愚公山を移す
別表記:愚公移山
愚公山を移す(ぐこうやまをうつす)は中国古典に基づく故事成語であり、「たゆまず努力を続ければどのような難事業でも成し遂げられる」という意味で用いられる表現。漢文では「愚公移山」と表記される。
「愚公」は人物名である。 「山を移すという愚行」ではない。「愚公山という山を移す」でもない。
「愚公山を移す」の故事は紀元前の中国戦国時代に成立したとされる典籍「列子(湯問)」の中に見られる。
愚公と呼ばれる老人が、交通に不便であるからといって眼前の2つの山を移動しようとして、それを実現してしまうという話である。信念をもって地道に取り組むことの大切さが説かれている。もっとも、山の移動は、愚公の揺るぎない意志に感心した天帝(創世神)の計らいによって実現されるのだが。
「地道に続けてゆけば難しいことも達成できる」という含蓄をあらわす諺・故事成語としては、「愚公山を移す」の他にも、たとえば「雨垂れ石を穿つ」 や「虚仮の一心」などが挙げられる。虚仮(こけ)は愚か者の意味であるから「愚公」の字面とも相通じる。「五劫の擦り切れ」も同種の含蓄を背景にもつ言葉ではあるが、これは「長久の時」を表現する意味で用いられる言い方であり使い所が異なる。
「愚公山を移す」の英語訳は、ほぼ直訳の「The Foolish Old Man Removes the Mountains」 が定着している。
ちなみに新約聖書(「マタイによる福音書」や「マルコによる福音書」)には、「信仰があれば山をも動かせる」といった趣旨の事をイエスが説いたという記述がある。
愚公(ぐこう)山(やま)を移(うつ)す
愚公山を移す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/20 03:11 UTC 版)
愚公山を移す(ぐこうやまをうつす)は、中国の戦国時代の典籍『列子』湯問編に載せられた説話[1][2]。20世紀になって、毛沢東が演説の中で引用したため、有名になった。
もともとは『列子』の中の伝説で、次のような話である。
- 太行山・王屋山が、現在の位置にあるのは、愚公という老人が自宅近くのこの山を邪魔に思い、家族総出で山を崩し始めたからだというのである。愚公の行為を見ていた智叟(ちそう)という人物が、「山を人力で崩せるはずがない」と批判すると、愚公は「山は増えないから、人間は子々孫々この事業を続ければ、いつかは山を移動できる」と自信満々に答えた。それを聞いた天帝が姱娥氏の二人の子に山を背負わせ、これを動かした。
毛沢東は1945年6月にこの話を演説で引用し、日本と中国国民党政権を二つの山に、中国共産党を愚公に喩え、どんなに敵が強力に見えても、我々が山を崩し続ければ、天帝にあたる中国人民は我々を支持してくれるのだと訴えた。
この毛沢東の論文は、文化大革命の時代に「人民に奉仕する」「ベチューンを記念する」の短い文章とあわせて「老三篇」と呼ばれ、パンフレットで普及された。また、日本でも中国語の初級教材として利用された。
訪ソ時、スターリンにこの伝説を紹介するとスターリンは興味を示し「私たちが手を組めば山を移す以上のことができますよ。」と答えた。[要出典]
脚注
- ^ 愚公移山-国際道家学術総会(中国語)、2014年7月7日閲覧。
- ^ 『列子』の成立時期には諸説ある。
愚公山を移す
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