敵(てき)に塩(しお)を送(おく)る
敵に塩を送る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/20 16:57 UTC 版)
敵に塩を送る(てきにしおをおくる)とは、日本の中世故事にもとづくとされることわざで、「苦境にある敵をあえて助ける」「目前の得失より長期的な利・理を求める」などの解釈がある。ただし、もとになったとされる故事は、史実とは見なされていない。
- ^ a b c 「敵に塩を送る」本当にあった? 上杉謙信と武田信玄、美談の真相は - withnews・2018年7月17日
- ^ 上杉謙信から武田信玄へ「敵に塩を送る」は本当か - JBpress・2020年9月30日
- 1 敵に塩を送るとは
- 2 敵に塩を送るの概要
- 3 概要
敵に塩を送る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 16:02 UTC 版)
「敵に塩を送る」は、敵の弱みにつけこまずに、逆にその苦境から相手を救うという意味で使われる故事成語である。戦国時代の戦いで、駿河の今川氏と相模の後北条氏は、海側からの塩の道を絶って、武田信玄の領地である甲斐・信濃への塩の流通を止める兵糧攻め作戦に出た。甲斐・信濃で塩が不足して苦しんでいることを知った越後の上杉謙信が「武士道に反する」として、敵対する武田氏領国に塩を送ったとされる故事が有名で、その塩が運ばれたのが千国街道であると言われることがある。長野県松本市の中心商店街ではこの故事にちなみ毎年1月に「塩市」から変節した「あめ市」(塩の貴重性が失われた後に貴重品であった砂糖を使用した飴の市に変節)が伝統行事として開催され武田方と上杉方による塩取り合戦(綱引き)などが行われ大勢の見物客でにぎわいを見せる。しかし当時の資料からは、塩止め(荷留)をしたという事実はないと考えられ、後世に作られた美談とされている。
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「敵に塩を送る」の例文・使い方・用例・文例
- 敵に塩を送る。
敵に塩を送ると同じ種類の言葉
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