一(いち)を聞(き)いて十(じゅう)を知(し)る
一を聞いて十を知る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 14:27 UTC 版)
一を聞いて十を知る(いちをきいてじゅうをしる)は、『論語』からのことわざ。
概要
物事の初めを聞いただけで、それの終わりまでも理解することができるということである。人の聡明さをたたえる場合に用いられ、そのような人というのは事の発端を知ったのみで全体を類推することができるという聡明さを持っている[1]。
由来
この言葉は『論語』の公治長に出てくる孔子の弟子である子貢の言葉が由来である。孔子の弟子に子貢とほぼ同い年の顔回という人物がいた。あるとき子貢は孔子に、あなたと顔回ではどちらが優れているかを問われることがあった。このときに子貢は、顔回と比べるなんてとんでもない。顔回は一を聞いて十を知る、自身は一を聞いて二を知ると答えていた。これに対して孔子も、自身は顔回には及ばないと述べていた[2]。
脚注
- ^ “一を聞いて十を知る | 会話で使えることわざ辞典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス”. 情報・知識&オピニオン imidas. 2025年3月9日閲覧。
- ^ 日本国語大辞典,故事成語を知る辞典,ことわざを知る辞典, デジタル大辞泉,精選版. “一を聞いて十を知る(イチヲキイテジュウヲシル)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年3月9日閲覧。
外部リンク
一を聞いて十を知る
出典:『Wiktionary』 (2021/08/11 06:58 UTC 版)
ことわざ
出典
論語三巻 公冶長第五より
子謂子貢曰 汝與回也孰愈 對曰 賜也何敢望回 回也聞一以知十 賜也聞一以知二 子曰 弗如也 吾與汝弗如也
- 子、子貢に謂いて曰く、「汝と回と孰れか愈(まさ)れる。」 対えて曰く、「賜や、何ぞ敢て回を望まん。回や、一を聞いて十を知る、賜や、一を聞いて以て二を知るのみ。」 子曰く、「如かざるなり、吾と汝と如かざるなり。」
- 孔子が子貢に「お前と顔回では、どちらが優れているかな」と尋ねた。子貢が、「どうして、回と比べることができるでしょう。回は、一を聞いて十を知ることができますが、私はようやく二を知る程度です」と答えると、孔子が言った。「そう及ばないね、私もお前同様(回には)及ばないよ」と。
翻訳
「一を聞いて十を知る」の例文・使い方・用例・文例
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