現役最晩年とは? わかりやすく解説

現役最晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:13 UTC 版)

加藤一二三」の記事における「現役最晩年」の解説

2014年4月74歳3ヶ月加藤1954年順位戦登場以来59期60年ぶりにC級2組迎えた。同組では規定によって降級点3つになると引退決定となるが、言い換えればこのまま現役続け限り3期連続降級点とっても最低でも77歳3か月引退することになり、丸田祐三が持つ現役最年長記録77歳0か月更新する可能性出てきた(なお、同時期、同じ条件には加藤より1ヶ月ほど生まれ早い内藤國雄もいたが2015年度に自ら引退した)。ここから各種最年長記録年齢差対決また、その長いキャリアによって生じた珍記録メディア注目されるようになっていく。 2015年3月11日棋王戦予選3回戦増田康宏当時17歳4か月)と対局し勝利する75歳加藤との年齢差58歳は、年長棋士側から見た史上最多年齢差勝利となった。しかし、この後岡崎洋六段戦から連敗喫し第74期順位戦全敗2016年度全敗(0勝20敗)を含む公式戦23連敗となった。A級経験者の年度全敗は、2013年田丸昇九段当時フリークラス在籍で0勝10敗)以来であった2016年12月24日竜王戦6組初戦では加藤持っていた史上最年少棋士記録14歳7か月)を62年ぶりに更新し14歳2か月プロ棋士四段となった藤井聡太デビュー戦相手となった結果は110手で藤井の勝ち)。これは公式戦で最も離れた年齢差62歳6か月)の対局となったまた、藤井は初の21世紀生まれプロ棋士2002年生まれであったため、19世紀村上真一野村慶虎の2名)、20世紀、21世紀3つの世紀生まれた棋士公式戦対局し記録達成した2014年時点19世紀生まれ棋士との対局経験がある現役棋士加藤のみであったため、この記録今後加藤唯一のものとなる。 2017年1月3日丸田祐三持っていた最年長現役棋士記録77歳+1日)を、1月12日同じく丸田持っていた最年長対局記録7611か月)を、さらに1月20日には最年長勝利記録(同)を、それぞれ77歳0か月更新した一方で順位戦(第75期)はすでに降級点2つ付いており、今期降級点付けば引退決まっていた。3回戦八代弥勝利したものの、他の対局敗戦続き、8回戦終了時点で1勝7敗の成績1回戦抜け番であった。この時点で、加藤降級点回避できる条件は、残りの2局を加藤連勝し同時点で2勝しかしていない棋士のうち7人が全敗をすることだった。1月19日当該7人の1人である竹内雄悟佐藤慎一勝利したことで、降級点回避条件満たせなくなりフリークラス規定による加藤引退確定した残り棋戦の全対局完了した時点引退となる)。 引退決定した翌日1月20日第88期棋聖戦二次予選・対飯島栄治戦(この時点飯島は、順位戦B級1組竜王戦2組強豪棋士)では、結果として現役最後となる勝ち星挙げ大きな注目集めた。これによって先述通り丸田持っていた最年長勝利記録更新した。この対局について飯島Twitterで「今日加藤一二三九段戦完敗でした。」と述べ形勢不明場面で出た加藤妙手について記したまた、この勝利によって棋聖戦次戦は佐藤天彦名人と当たることになり(2月8日)、現役名人引退直前棋士対局する極めて稀な事態起こった。この対局自分自身を除く、木村義雄以来実力全名経験者との対戦ともなった(なお、名人就位前の佐藤とは既に対局経験があり初対局だったわけではない一方で加藤引退後名人となった豊島将之との対局経験はない)。 現役最後対局2017年6月20日第30期竜王戦6組昇級者決定戦での対高野智史戦となり、これに敗れ加藤はこの日をもって現役引退となった通算成績は1,324勝1,180敗(対局数2,505)。現役最年長記録77歳5か月樹立加藤は、事前に連盟通じて報道機関に「この日は記者会見はしない後日に行う」と通知していた。実際の対局では投了する少し前にタクシー呼んでおき、また観戦記者感想戦はしない旨を伝え投了する集まっていた報道陣には無言のまま直ち帰宅した。後に自著において加藤長年にわたり苦楽を共にした妻に直接引退のことを告げるのを最優先したかったと述べている。報道陣集まっていたが、加藤無言であったその後加藤自身Twitter将棋界支えスポンサー将棋ファン直接語りかけた。 10歳のとき新聞観戦記触れ将棋本質悟ったわたくしが、天職である将棋に、最善環境の中、生涯懸け全身全霊傾け打ち込むことができましたのは、御支援賜りましたスポンサー将棋ファンすべての皆様おひとりおひとりのおかげに他なりません。幸せ棋士人生ありがとうございました。 — 加藤一二三、 なお、加藤はまだ気力体力ともに衰えておらず、公式戦対局への情熱失っていなかったと言い将棋界制度による引退仕方がなかった、もしそうした制度なければずっと戦い続けていただろう、と述べている。また、名人位に就いたこともある自分が、その35年後にC級2組にまで下がり、規定引退することになるまで現役続けたのは、「77歳C級2組在籍していても、名人以外のタイトル獲得できる」ことに大きな可能性感じていた、棋士世界では最後までチャンスがあるのだ、と述べている。 6月30日に、東京将棋会館引退に際して記者会見行った記者会見参加した報道機関は、40社・100名に及んだ62年10か月の間の通算対局数は2,505局に及ぶが、休場不戦敗一度もなかった。また、1954年8月1日四段となってから、2017年6月20日引退するまでの現役勤続年数62年10か月)は歴代1位である。これは最年少プロ入りかつ最年長引退によって生じたために圧倒的な記録であり、例えば他に70歳超えて現役であった棋士内藤國雄1958年四段 - 2015年引退)や有吉道夫1955年四段 - 2010年引退)がいるが、60年にも届かないまた、加藤以前最年長記録であった丸田兵役によるブランク1946年27歳四段入りした経歴のため、ちょうど50年1946年4月1日-1996年3月31日)だった。

※この「現役最晩年」の解説は、「加藤一二三」の解説の一部です。
「現役最晩年」を含む「加藤一二三」の記事については、「加藤一二三」の概要を参照ください。

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