現役期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/17 23:32 UTC 版)
1995年に兵庫県競馬組合・園田の保利照美厩舎に入厩し、同年7月19日姫路競馬場で開催された3歳新馬戦に出走し勝利を飾る。同年末、当時まだ兵庫所属であった岩田康誠を初めて鞍上に迎える(以後48戦にわたり、岩田が本馬の主戦騎手として騎乗した)。 デビューして以降は、6歳時の3月に佐賀競馬場で開催された西日本地区招待アラブ大賞典に出走するまでの32戦のうち連対を外したのは3度で、連対を外した3度の全てを3着にまとめていた。しかしその強さを見せつけるにつれ負担重量が重くなり、一部の定量戦を除き60kg以上を背負わされる事が多くなった上、ニホンカイユーノスなど一歳若いライバル達の出現で連対に絡むことが難しくなる。それでも何とか8歳の9月までは掲示板(5着以内)を外すことはなく、安定した結果を残す。ただ、距離を問わず活躍できたが調子の良し悪しに関らず不良馬場をやや苦手にしており苦戦を強いられることが多かった。 しかし9歳も近づくと彼もさすがに衰えが見え、下位入線が目立つようになる。2001年のサマーカップを最後に引退。9着であった。2001年12月5日ケイエスヨシゼンの引退式がしめやかに行われ、同じ年の大晦日12月31日に登録を抹消。
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