西日本地区
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「山陽本線優等列車沿革」も参照 「雷鳥」 「しらさぎ」画像はJR化後 1964年に481系の第1陣となる41両が向日町運転所へ新製配置され、1964年12月25日より「雷鳥」「しらさぎ」の各1往復に11両編成で営業運転を開始した。東海道新幹線が開業した1964年10月1日ダイヤ改正で「雷鳥」「しらさぎ」の列車ダイヤは設定されていたが、車両落成がダイヤ改正後の同年10月末となったことから運休扱いとなり、試運転を経て12月からの営業運転開始となった。 運用1:大阪1230(2001M 雷鳥)1715富山1815(2004M しらさぎ)2240名古屋 運用2:名古屋0800(2003M しらさぎ)1225富山1335(2002M 雷鳥)1820大阪 一方、東海道新幹線開業により新大阪 - 博多へ運転区間を変更した「つばめ」「はと」は、九州内交流電化区間では下関 - 門司間がEF30形、門司 - 博多間がED73形の両電気機関車による牽引とし車内電源用にサヤ420形電源車を連結した上で直流用151系で運転されたが、翌1965年には481系増備車56両が落成。11両編成x8本と予備車9両の計97両配置となり、同年10月1日ダイヤ改正で「つばめ」「はと」を置換え。運用は6編成充当で「つばめ」は運転区間を名古屋 - 熊本へ延長した。1966年10月1日改正では1運用増により「雷鳥」は2往復へ増発された。 運用1:大阪1800(2003M 第二雷鳥)2240富山 運用2:富山0645(2002M 第一雷鳥)1130大阪1240(2001M 第一雷鳥)1710富山1810(2012M しらさぎ)2235名古屋 運用3:名古屋0915(3M つばめ)2206熊本 運用4:熊本0805(4M つばめ)2052名古屋 運用5:名古屋0800(2011M しらさぎ)1225富山1335(2004M 第二雷鳥)1820大阪 運用6:新大阪1330(5M はと)2215博多 運用7:博多0755(6M はと)1640新大阪 1968年10月1日のダイヤ改正では、南福岡電車区の581・583系配置両数が141両となり、「つばめ」「はと」運用を移管。引換に向日町運転所の九州特急運用は1967年10月1日ダイヤ改正でキハ82系から581系へ置換えられた大阪 - 大分間「みどり」に充当となったほか、北陸特急では「雷鳥」が2往復から3往復、「しらさぎ」が1往復から2往復増発に充当された。 また本改正から最高運転速度が110→120 km/hへアップされたことから、各列車の所要時間も短縮された。 運用1:大阪1800(2005M 雷鳥3)2218富山 運用2:富山0645(2002M 雷鳥1)1105大阪1230(2003M 雷鳥2)1645富山 運用3:富山0555(22M しらさぎ1)0959名古屋1315(23M しらさぎ2)1714富山1750(24M しらさぎ2)2153名古屋 運用4:名古屋0815(21M しらさぎ1)1214富山1325(2004M 雷鳥2)1747大阪 運用5:大阪0945(2001M 雷鳥1)1400富山1545(2006M 雷鳥2)2007大阪 運用6:新大阪0928(1M みどり)1905大分 運用7;大分1005(2M みどり)1942新大阪 上述した「みどり」を除いた山陽九州昼行特急は以下の系列が充当された。 583系(南福岡電車区担当) 「つばめ」名古屋 - 熊本1往復(「金星」と共通運用) 「はと」新大阪 - 博多・熊本(博多発着は「月光」と熊本発着は「明星」と共通運用) 181系(向日町運転所担当) 「うずしお」新大阪・大阪 - 宇野3往復 「しおじ」新大阪 - 広島・下関3往復 1969年10月1日ダイヤ改正に対応して、向日町運転所に初めて485系35両を新製配置。11両編成x3本のほか、MM'ユニット1組は481系予備車9両と新たな編成を組成し、11両編成x13本で11編成を運用に充当した。 山陽特急では、「うずしお」3往復のうち下り3号・上り1号の1往復に本系列を充当、初の全区間直流運転列車となった。捻出された181系は「しおじ」新大阪 - 下関間1往復増発用に転用。 「はくたか」上越線 越後中里 - 岩原スキー場前 「北越」 北陸特急では、大阪 - 金沢間に「雷鳥」1往復を増発し4往復となった。増発分は共通運用で上野 - 金沢間を北陸本線糸魚川 - 直江津間ならびに信越本線直江津 - 宮内間電化に伴い信越本線経由から上越線経由に変更で運転した「はくたか」に充当された。これにより向日町運転所配置車は、東は上野、西は大分までの広域運用を行うこととなったほか、大阪 - 新潟間臨時特急「北越」も設定され翌1970年3月1日に定期列車化された。 運用1:新大阪1735(1015M うずしお3)2025宇野 運用2:宇野0840(1012M うずしお1)1132新大阪…大阪1430(2015M 北越)2211新潟 運用3:新潟0700(2016M 北越)1449大阪1800(2007M 雷鳥4)2219富山 運用4:富山0645(2002M 雷鳥1)1105大阪1240(2005M 雷鳥3)1654富山 運用5:富山0555(22M しらさぎ1)0959名古屋1315(23M しらさぎ2)1714富山1750(24M しらさぎ2)2153名古屋 運用6:名古屋0815(21M しらさぎ1)1214富山1325(2004M 雷鳥2)1747大阪 運用7:大阪0945(2003M 雷鳥2)1359富山1545(2008M 雷鳥4)2007大阪 運用8:新大阪0928(1M みどり)1905大分 運用9;大分1005(2M みどり)1942新大阪 運用10:大阪0810(2001M 雷鳥1)1147金沢1330(1022M はくたか)2010上野 運用11:上野0710(1021M はくたか)1425金沢1510(2006M 雷鳥3)1857大阪 「北越」は1970年2月28日までは列車番号8015M・8016Mで運転 また「雷鳥」は1970年10月2日ダイヤ改正では運用見直しで1往復増の5往復化。1971年にはサハ489形を組み込まない489系早期落成車11両編成x2本が配置された。これにより485系運用に余裕が出たことから、「雷鳥」は同年7月30日から6往復化。さらに尾久・金沢・大分で夜間滞留車による「はくたか」や「みどり」の間合いで臨時夜行特急として大阪 - 大分「夕月」ならびに上野 - 富山「はくたか51号」にも充当された。 「白山」 1972年3月15日には山陽新幹線新大阪 - 岡山間暫定開業に伴うダイヤ改正が実施された。向日町運転所への485系増備はないものの代わりに信越本線横川 - 軽井沢間でEF63形との協調運転に対応した前年から製造開始された489系が12両x4編成と485系と共通運用される11両編成x1本を組成。12両編成は3編成を充当し、送り込みと帰所を兼ねた「雷鳥」との共通運用で上野 - 金沢間「白山」の運転を開始した。これにより「雷鳥」は8往復運転となった。 489系運用1:大阪1830(4029M 雷鳥10)2245富山‥金沢 489系運用2:金沢0700(3006M 白山)1334上野1425(3005M 白山)2053金沢 489系運用3:金沢‥富山0715(4012M 雷鳥1)1130大阪1230(4021M 雷鳥6)1640富山1715(4030M 雷鳥10)2130大阪 また同年夏期には東京・上野 - 中軽井沢間季節特急「そよかぜ」2往復にも充当されたほか、さらに増備が続き同年11月までに12両編成x6本まで増強。同月24日から従来の「白山」は上り「白山1号」下り「白山2号」へ変更の上で2往復化、「雷鳥」は2往復増の10往復運転となった。 489系運用4:大阪0900(4015M 雷鳥2)1225金沢1255(3008M 白山2)1942上野 489系運用5:上野0925(3007M 白山1)1555金沢1640(4026M 雷鳥8)2010大阪 なお「白山」運用は1973年4月1日付で金沢運転所へ移管。車両は段階的な転出が1974年4月までに実施された。 1969年10月から運転されていた「はくたか」は交流区間が商用周波数60 Hzのため金沢で「雷鳥」を介して共通運用が組まれたが、冬期は豪雪地帯の上越線を経由するため下り「はくたか」は大幅遅延も多く、その影響は上り「雷鳥」にまで波及してしまうことから、本ダイヤ改正から上り「はくたか」発車時刻を下り「はくたか」到着時刻より遅くする以下の変更を実施した。 改正前 上野0710(1021M はくたか)1425金沢1510(2006M 雷鳥3)1857大阪 大阪0810(2001M 雷鳥1)1147金沢1330(1022M はくたか)2010上野 改正後 上野0830(3001M はくたか)1450金沢1610(4022M 雷鳥6)1944大阪 大阪1030(4015M 雷鳥3)1353金沢1515(3002M はくたか)2139上野 下り「はくたか」が遅延した場合には下り「雷鳥3号」から上り「はくたか」に入る予定の編成を上り「雷鳥6号」で大阪に戻し、遅延した下り「はくたか」は最初から遅延を前提に上り「はくたか」として上野に送り返す運用変更により「雷鳥」の定時運行が確保された。しかし「はくたか」の遅延が慢性化すると折り返し運用が続き当該編成が向日町に戻ることができず、検修の問題から車両交換に伴う回送列車を向日町 - 金沢に仕立てたほか金沢運転所の489系による代走など弊害が発生した。 山陽九州特急の多くは岡山発着になり、大阪発着では「うずしお」が廃止となるが、「しおじ」は残存した。また岡山 - 博多・熊本「つばめ」と岡山 - 下関「はと」ほか、以下の列車に充当された。 「みどり」新大阪・大阪 - 大分2往復 「しおじ」新大阪 - 広島1往復 「つばめ」岡山 - 博多2往復 「はと」岡山 - 下関1往復 さらに同年4月27日からは「みどり」の間合い運用で日豊本線博多 - 大分間「にちりん」1往復にも充当。初の全区間交流運転となる九州島内運用も開始された。 大阪0825(1M みどり)1753大分2038(4014M にちりん2)2333博多 博多0753(4013M にちりん2)1050大分1120(2M みどり)2038新大阪 博多口では「つばめ」と共通運用を実施。 また本改正では1968年以降中断していた181系の関東地区転用による置換えを含め向日町運転所配置車は段階的な増備を実施し、小刻みな運用変更ならびに増発も行われた。 1972年3月15日:11両編成x15本 13編成充当 1972年4月27日:11両編成x17本 15編成充当 1972年5月4日:11両編成x18本 16編成充当 1972年10月2日:11両編成x21本 19編成充当 1973年3月1日:11両編成x31本 29編成充当 1973年4月1日:11両編成x32本 30編成充当 1973年5月30日:11両編成x33本 30編成充当 1973年7月1日:11両編成x35本 30編成充当 また上述した編成には、共通予備としてサハ489形を除外した489系11両編成は1974年3月まで1ないし2編成が含まれるほか、1973年5月25日をもって向日町運転所の181系運用は終了。その結果、充当定期列車は以下となった。 「はくたか」上野 - 金沢(上越線経由)1往復 「北越」大阪・金沢 - 新潟3往復 「雷鳥」大阪 - 金沢・富山7往復 「しらさぎ」名古屋 - 富山3往復 「みどり」大阪・岡山 - 大分2往復 「つばめ」岡山 - 博多・熊本4往復 「しおじ」新大阪・大阪 - 広島・下関3往復 「はと」岡山 - 下関5往復 「にちりん」博多 - 大分1往復 1973年10月1日ダイヤ改正では以下の変更を実施。 キハ82系気動車で運転されていた大阪 - 西鹿児島(現・鹿児島中央)・宮崎間「なは」「日向」を分離し、「なは」を本系列化。 大阪0705(1M なは)2004西鹿児島0800(2M なは)2101大阪 大阪発着「みどり」は列車番号を33M・34Mへ変更。 「北越」の金沢発着1往復・大阪発着1往復を金沢運転所489系へ運用移管 「雷鳥」充当を9往復へ増強 「つばめ」充当を5往復へ増強 本系列は11両編成x35本と予備のMM'ユニット1組とクハ481形1両の計364両を配置。運用には30編成が充当された。 1974年4月25日ダイヤ改正では日豊本線南宮崎電化で「日向」へも充当された。 大阪0725(31M 日向)2017宮崎0930(32M 日向)2243大阪 向日町配置車は11両編成x37本計382両で定期32運用が組まれ新潟・上野・宮崎・西鹿児島とさらに広域運用が行われた。 1975年3月10日の山陽新幹線博多開業に伴うダイヤ改正により、山陽本線昼行特急は全廃となった。向日町運転所の485系は407両のうち204両が余剰となり、余剰車の大多数が九州へ転用された。 向日町配置車は北陸運用充当車を除いて南福岡と鹿児島ならびに青森・金沢へ転出した結果、11両編成x13本計141両まで減少したものの翌1976年には12両化のためサハ481-101 - 113が新製配置された。また1981年の神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)開催中は三ノ宮 - 富山間臨時特急「ポートピア」に充当された。 富山0546(9040M ポートピア)1025三ノ宮1702(9043M ポートピア)2200富山 1982年11月15日の東北・上越新幹線暫定開業に伴うダイヤ改正により大幅運用減となった東北地区から23両、運用見直しで金沢運転所から10両、南福岡電車区から3両が転入し12両編成x16本計192両となったが、1984年以降サシ481形を編成から外す一方で一部編成ではサロ481形500番台を組み込むなどの組成変更を実施。1985年3月14日のダイヤ改正では再び東北地区とから余剰車が大量転入し273両まで増加したものの1986年11月1日のダイヤ改正で民営化を見据えた日本海縦貫線の特急運用見直しにより44両が上沼垂運転区へ転出。また余剰車の一部が廃車もしくは車種間改造を施工され同所から転出。民営化時には保留車5両を含む194両が配置された。 金沢運転所への車両配置は、1973年4月1日付で向日町から「白山」「雷鳥」の運用移管による489系転入が起源で、増備により「北越」「あさま」のほか、季節特急「そよかぜ」にも充当された。 「白山」暫定10両編成1978年8月 上越線迂回運転 1975年3月10日ダイヤ改正で「雷鳥」が米原経由から湖西線経由に変更。「しらさぎ」5往復への充当と米原発着の「加越」運転開始に伴い485系も配置された。その後、金沢運転所の北陸本線運用では485系・489系の混結運用を開始。横軽区間が介在するため489系限定の「白山」は1978年7月にサシ489形ならびにサハ489形の連結を中止し暫定10両編成に変更。同年10月2日から「白山」と上越線経由の「はくたか」は共通運用化。1979年4月20日からサロ489形1000番台の組成による3MG化を実施し再び12両編成に変更した。 1982年の上越新幹線開業で「はくたか」は廃止、「白山」は食堂車を復活させたものの1985年には再廃止など4回の編成組成を経て、分割民営化を前に「あさま」用189系補完のため27両が長野第一運転区へ転出し、民営化時には485系・489系併せて187両が配置された。 金沢運転所489系「白山」編成推移 ← 上野・金沢 直江津 → 1972年3月15日 - 1978年6月30日クハ489 モハ488 モハ489 サロ489 サロ489 サシ489 モハ488 モハ489 サハ489 モハ488 モハ489 クハ489 1978年7月1日 - 1979年4月19日クハ489 モハ488 モハ489 サロ489 サロ489 モハ488 モハ489 モハ488 モハ489 クハ489 1979年4月20日 - 1982年11月14日クハ489 モハ488 モハ489 モハ488 モハ489 サロ489 サロ4891000 モハ488 モハ489 モハ488 モハ489 クハ489 1982年11月15日 - 1985年3月13日クハ489 モハ488 モハ489 モハ488 モハ489 サロ4891000 サシ489 モハ488 モハ489 モハ488 モハ489 クハ489 1985年3月14日 - 2011年3月27日クハ489 モハ488 モハ489 サロ489 モハ488 モハ489 モハ488 モハ489 クハ489 備考 クハ489形:上野・金沢方は500・600・700番台 直江津方は0・200・300番台 1985年3月14日以降の編成では以下の推移がある。 サロ489形は1990年までは0・1000番台を併用 以降は0番台のみで組成 6号車のモハ489形は1989年以降ラウンジ&コンビニエンスカーへ改装 また、1985年3月14日ダイヤ改正では紀勢本線特急「くろしお」を4往復増発する際、他地区で余剰となっていた485系44両を日根野電車区(現・吹田総合車両所日根野支所)に配置し充当したが、諸事情により翌1986年11月1日ダイヤ改正で福知山運転区と南福岡電車区に全車転出した。詳細はこちらを参照のこと。
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西日本地区
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西日本(特に近畿地方)においては、小ぶりに切った牛肉や魚介類、野菜を個別に串に刺して衣をまぶして揚げた料理を指す。ただし東日本で一般的な豚肉と玉葱を用いた串カツが存在しないわけではなく、双方とも区別することなく串カツと呼んでいる。 大阪式の串カツは、1929年(昭和4年)に新世界に開店した「だるま」の女将が、釜ヶ崎の肉体労働者たちのために串に刺した一口サイズの肉を揚げて饗したのが始まりとされる。元々は牛串のみを串かつと呼んでいたが、その後に串揚げ全般を指すようになったという。さらに串かつが大阪名物と言われるようなったのは2000年代以降のことで、2001年に同店の後継者に後輩を送り込んだ赤井英和(俳優・タレント。元プロボクサー)が料理番組などで宣伝に励んだことが大きいという。 大阪を中心とする近畿地方一円の下町の繁華街には立ち食いの串カツ店が多く存在する。関東、中京地方のものに比べ小ぶりな一口サイズで、様々な食材が串カツになる。数を捌くため手順は簡略化され、小麦粉をまぶしてから溶き卵をくぐらせる代わりに、水溶き小麦粉と卵液をあらかじめ混ぜた「バッター液(batter。「バッター」とは英語で「揚げ物の衣」のことである。)」や、業務用に配合された「バッター粉」を水で溶いて使用する店が多い。またパン粉は今日の基準からすれば目の細かいものが使用され、山芋を使った滑らかな衣を用いる店もあるのが大阪串カツの特徴である。 客席に置かれた共用のステンレス容器に入った、薄いウスターソースをベースに醤油や醸造酢などを配合した専用のソースに串カツを漬けて食べる形式の店が多い。このソースには衛生的な観点から、多くの店では二度漬け禁止のルールが設けられている。ただし、たいていの店では胃もたれを防ぐというキャベツが無料で提供されているため、二度漬け禁止であってもキャベツでソースを容器からすくってカツにかけることができる。なお、ソースについての日本語の掲示を理解しない外国人観光客が増加して問題になったため、専門の説明係を置く店舗も現われた。 近年は、様々な創作串カツをお好みやコースの形式で提供する店も多く存在する。そうした店ではそれぞれの客にソースやキャベツが用意され、二度漬け禁止の掲示もない。また、調味料も専用のソースだけでなく、各種の塩やタルタルソース、味噌、醤油、胡麻だれ等、独自の味付けがなされる。 テーブルに置かれた油が入った鍋で自らが揚げるセルフサービスや、食べ放題の形式を取る店舗も存在する。
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