現役校舎時代(1929-2008)
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「旧鳥羽小学校校舎」の記事における「現役校舎時代(1929-2008)」の解説
「鳥羽市立鳥羽小学校#城山の校舎(1929-2008)」も参照 1928年(昭和3年)9月26日に施工者の西本組神戸出張所で地鎮祭を挙行して着工、1929年(昭和4年)2月16日に竣工した。完成した校舎は鳥羽城跡にそびえるように立ち、「三重県初の鉄筋コンクリート校舎」、「設備は県下一」と讃えられ、物珍しさから県内各地より見学者が訪れた。来訪者に梨本宮守正王・王妃伊都子(1929年〔昭和4年〕11月26日)、久邇宮多嘉王・王妃静子・王子・王女(1930年〔昭和5年〕3月30日)、李鍵王(1930年〔昭和5年〕7月3日)、三重県知事の広瀬久忠(1932年〔昭和7年〕2月7日)らがいる。 実際に学校として利用されるようになったのは同年9月からで、9月3日に移転し9月26日に落成式を挙行した。11月21日・11月22日には全国初等教育大会が開催された。 学制改革により、1947年(昭和22年)に鳥羽中学校(統合を経て鳥羽市立鳥羽東中学校)が創立すると、鳥羽小の校舎の一角を貸与した。1948年(昭和23年)には義務教育、特に中学校優先の原則により、鳥羽中学校と鳥羽高等学校が校舎を交換することになったため、鳥羽小の一角に鳥羽高校が移転した。鳥羽高校は翌1949年(昭和24年)に元の校舎に復帰し、鳥羽小単独の校舎に戻った。1954年(昭和29年)9月、校舎建設費を出資した御木本幸吉が死去し、校内で葬儀が行われた。 1961年(昭和36年)、給食室が焼失し、1962年(昭和37年)から3年事業で校舎の大規模修繕と給食室の再建が行われた。
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