現役校舎時代とは? わかりやすく解説

現役校舎時代(1929-2008)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:19 UTC 版)

旧鳥羽小学校校舎」の記事における「現役校舎時代(1929-2008)」の解説

鳥羽市立鳥羽小学校#城山の校舎(1929-2008)」も参照 1928年昭和3年9月26日施工者西本組神戸出張所地鎮祭挙行して着工1929年昭和4年2月16日竣工した完成した校舎鳥羽城跡にそびえるように立ち、「三重県初の鉄筋コンクリート校舎」、「設備県下一」と讃えられ、物珍しさから県内各地より見学者訪れた来訪者梨本宮守正王王妃伊都子1929年昭和4年11月26日)、久邇宮多嘉王王妃静子王子王女1930年昭和5年3月30日)、李鍵王(1930年昭和5年7月3日)、三重県知事広瀬久忠1932年昭和7年2月7日)らがいる。 実際に学校として利用されるようになったのは同年9月からで、9月3日移転し9月26日落成式挙行した。11月21日11月22日には全国初等教育大会開催された。 学制改革により、1947年昭和22年)に鳥羽中学校統合経て鳥羽市立鳥羽東中学校)が創立すると、鳥羽小の校舎一角貸与した1948年昭和23年)には義務教育、特に中学校優先原則により、鳥羽中学校鳥羽高等学校校舎交換することになったため、鳥羽小の一角鳥羽高校移転した鳥羽高校は翌1949年昭和24年)に元の校舎復帰し鳥羽単独校舎戻った1954年昭和29年9月校舎建設費出資した御木本幸吉死去し校内葬儀が行われた。 1961年昭和36年)、給食室焼失し1962年昭和37年)から3年事業校舎大規模修繕給食室再建が行われた。

※この「現役校舎時代(1929-2008)」の解説は、「旧鳥羽小学校校舎」の解説の一部です。
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