現役最後の勝利、引退へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 07:56 UTC 版)
「デイモン・ヒル」の記事における「現役最後の勝利、引退へ」の解説
1998年はジョーダン無限ホンダに移籍。マクラーレンからのオファーはあったが、当時のオーナーのロン・デニスから出された「年俸ゼロ、1勝ごとの報酬制」「年間100日の無償プロモーション活動」などの条件を受け入れられずに拒否した。他にザウバーやプロストからもオファーを受けていた。 前半戦こそショートホイールベース化や、信頼性の問題を抱えていた198で苦戦を強いられた。カナダGPでは一時2位を走行するが、電気系トラブルのためリタイアした。しかし後半戦はコンスタントにポイントを獲得し、雨の波乱含みのベルギーGPでジョーダンに初勝利をもたらした。これはヒル本人にとって現役最後の勝利であり、また、F1ではウィリアムズ以外のチームで挙げた初めての勝利でもあった。最終戦日本GPでは最終ラップまで奮闘して4位入賞し、チームをコンストラクターズ4位に導いた。 1999年は新規定の4本溝タイヤの扱いに苦戦し、成績もチームメイトのハインツ=ハラルド・フレンツェンに圧倒された(予選2勝14敗、ポイント7対54)。カナダGP後に今季限りでの引退を表明したが、チームオーナーのエディ・ジョーダンは「シーズン途中での引退の可能性」を示唆。地元のイギリスGPが最後のレースとなると報道され、チームも後釜としてニック・ハイドフェルドや中野信治、ヨス・フェルスタッペンを検討していたが、5位入賞したイギリスGP後に最終戦までの現役続行を表明した。その後はハンガリーGPとベルギーGPで6位に入賞するものの、全体的に精彩を欠いていた。ヨーロッパGPではスタート直後にレコードライン上でスローダウンし、ディニスがアレクサンダー・ヴルツと接触して横転、ロールバーが折れて一時はディニスの生命の危機が危ぶまれる大クラッシュの原因になってしまった。引退レースとなった日本GPではコースアウトしたのち戦意喪失による「レース棄権」で終えることになり、一部ジャーナリストからは批判を浴びた。
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