現役晩年~現役引退とは? わかりやすく解説

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現役晩年~現役引退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 15:00 UTC 版)

貴ノ浪貞博」の記事における「現役晩年~現役引退」の解説

1999年平成11年9月場所途中に足を痛め新入幕から引退までの期間で唯一の休場経験する。これによって同年11月場所角番となり、この場所で優勝争いをしていた大関出島12日目に破るなど意地見せたが、そこから3連敗で6勝9敗で終えた事でついに35所務めていた大関から陥落することが決まった。それでも2000年平成12年1月場所では10挙げ特例での大関復帰認められた。これは1969年昭和44年7月場所以降制定された「大関特例復帰制度」から、1976年昭和51年7月場所三重ノ海剛司以来24年ぶり二度目出来事だった。しかし大関復帰した同年3月場所千秋楽敗れたことで7勝8敗となり、角番迎えた同年5月場所も6勝9敗と負け越したことで再び関脇陥落となった7月場所も1横綱3大関勝ったにも関わらず中盤5連敗響き7勝8敗と負け越したことで二度目大関特例復帰はならなかった。大関在位37場所は二子山始め北天佑勝彦小錦八十吉に続く歴代4位だった。大関として挙げた通算353勝は、当時歴代3位であるとともに、後に横綱昇進した武蔵丸光洋大関時代奇しくも同数だった。 2000年平成12年9月場所7年ぶりの小結迎えて9勝を挙げ、翌場所で関脇復帰するが、同年11月場所初日からの8連敗中日越し決まり21世紀最初の場所となった2001年平成13年1月場所1993年平成5年3月場所以来8年ぶりとなる平幕陥落となった。しかし2001年7月場所優勝した大関魁皇勝ったり、2001年11月場所は10日目まで9勝1敗と一時優勝争い加わったり、2002年7月場所は初日から7連勝し大関取りで9連勝していた朝青龍勝ったり、2002年9月場所と11月場所2003年7月場所では横綱武蔵丸対戦機会3連勝するなど、21世紀に入ってからも前頭上位好成績残して小結復帰するが、三役で勝ち越せずに平幕陥落するなど、往年の大関時代力強さ徐々に失われていった。それでも常に前頭上位定着し貴ノ浪自身も「自分にしか取ることの出来ないスケール大きい)相撲で観客沸かせたい」と“魅せる相撲”に徹し土俵上でのその姿は大関時代にも勝る歓声得た。そして2002年11月場所では史上スロー金星獲得し、元大関25年ぶり史上4人目三賞受賞獲得した。 しかし、2003年平成15年)では年6場所で全て負け越し喫してしまい、体力衰え顕著になり始める。2004年平成16年1月場所7日目前場所で十両優勝果たし勢いのある新鋭黒海太対戦する肩越しの上手から豪快に振り回して投げ飛ばし、元大関貫禄存分に示した。この相撲で勢い付いた貴ノ浪は8勝7敗と一年ぶりに勝ち越したが、結果的にこれが現役最後勝ち越しとなった同年3月場所は、好成績残していない限り上位陣の対戦基本的に組まれない前頭8目で初日から6連敗喫したものの、5勝10敗で十両陥落免れた。しかし体力限界加えて大関時代から悪かった心臓の不調入院する重篤となり、相撲そのもの続けることが出来なくなってしまう。同年5月場所はついに前頭13目まで陥落する初日から2連敗喫したことで、3日目不戦敗として現役引退表明年寄音羽山襲名した大関陥落後から合計25場所(直後大関復帰した2000年1月場所関脇1場所を含む)も相撲取り続けたが、これは当時小錦八十吉越え最長記録だった。現役最後となった2004年5月場所2日目では幕内通算出場回数が1118回となり、小錦八十吉抜いて史上単独7位(当時になったことについて、「ハッハハハ。まぁ、長く取っているだけのことですから。でも勝たなくては長く取れない良いことじゃないですか」と笑い飛ばし引き返したが、翌日引退会見では場所前から引退決意しており、どこまで相撲取れるか確かめるために出場したことを涙ながらに明かした。そして、前日までの表情違いに驚く報道陣に対して「全然悲しくない。やれるだけのことはやりましたから。悲しくは無いんだけど、なぜか、涙が出るんです」と素直な気持ちを表した貴ノ浪断髪式2005年平成17年1月30日両国国技館行われ引退相撲歴史見て屈指のと言える400人以上もの来訪者鋏を入れた。会場には当時入退院を繰り返していた二子山病院から駆けつけて髷に鋏を入れると、貴ノ浪堪え切れずに涙を流し来場者感動呼んだ。なお、二子山その4ヶ月後の同年5月30日口腔底癌死去、この姿が公での最後の姿となった最後留め鋏を入れたのは一代年寄貴乃花親方だった(貴ノ浪引退直前貴乃花二子山部屋継承貴乃花部屋となっていたため)。

※この「現役晩年~現役引退」の解説は、「貴ノ浪貞博」の解説の一部です。
「現役晩年~現役引退」を含む「貴ノ浪貞博」の記事については、「貴ノ浪貞博」の概要を参照ください。

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