現役晩年~現役引退
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1999年(平成11年)9月場所の途中に足を痛め、新入幕から引退までの期間で唯一の休場を経験する。これによって同年11月場所が角番となり、この場所で優勝争いをしていた大関・出島を12日目に破るなど意地を見せたが、そこから3連敗で6勝9敗で終えた事でついに35場所務めていた大関から陥落することが決まった。それでも2000年(平成12年)1月場所では10勝挙げ、特例での大関復帰が認められた。これは1969年(昭和44年)7月場所以降に制定された「大関特例復帰制度」から、1976年(昭和51年)7月場所の三重ノ海剛司以来24年ぶり二度目の出来事だった。しかし大関に復帰した同年3月場所は千秋楽で敗れたことで7勝8敗となり、角番で迎えた同年5月場所も6勝9敗と負け越したことで再び関脇に陥落となった。7月場所も1横綱3大関に勝ったにも関わらず中盤5連敗が響き7勝8敗と負け越したことで二度目の大関特例復帰はならなかった。大関在位37場所は二子山を始め、北天佑勝彦・小錦八十吉に続く歴代4位だった。大関として挙げた通算353勝は、当時歴代3位であるとともに、後に横綱へ昇進した武蔵丸光洋の大関時代と奇しくも同数だった。 2000年(平成12年)9月場所は7年ぶりの小結で迎えて9勝を挙げ、翌場所で関脇に復帰するが、同年11月場所は初日からの8連敗で中日負越しが決まり、21世紀最初の場所となった2001年(平成13年)1月場所は1993年(平成5年)3月場所以来約8年ぶりとなる平幕に陥落となった。しかし2001年7月場所は優勝した大関・魁皇に勝ったり、2001年11月場所は10日目まで9勝1敗と一時優勝争いに加わったり、2002年7月場所は初日から7連勝し大関取りで9連勝していた朝青龍に勝ったり、2002年9月場所と11月場所~2003年7月場所では横綱・武蔵丸に対戦機会3連勝するなど、21世紀に入ってからも前頭上位で好成績を残しては小結に復帰するが、三役で勝ち越せずに平幕へ陥落するなど、往年の大関時代の力強さは徐々に失われていった。それでも常に前頭上位に定着し、貴ノ浪自身も「自分にしか取ることの出来ない(スケールの大きい)相撲で観客を沸かせたい」と“魅せる相撲”に徹し、土俵上でのその姿は大関時代にも勝る歓声を得た。そして2002年11月場所では史上最スロー初金星を獲得し、元大関の25年ぶり史上4人目の三賞受賞を獲得した。 しかし、2003年(平成15年)では年6場所で全て負け越しを喫してしまい、体力の衰えが顕著になり始める。2004年(平成16年)1月場所7日目、前場所で十両優勝を果たして勢いのある新鋭・黒海太と対戦すると肩越しの上手から豪快に振り回して投げ飛ばし、元大関の貫禄を存分に示した。この相撲で勢い付いた貴ノ浪は8勝7敗と一年ぶりに勝ち越したが、結果的にこれが現役最後の勝ち越しとなった。 同年3月場所は、好成績を残していない限り上位陣の対戦が基本的に組まれない前頭8枚目で初日から6連敗を喫したものの、5勝10敗で十両陥落を免れた。しかし体力の限界に加えて大関時代から悪かった心臓の不調で入院するや重篤となり、相撲そのものを続けることが出来なくなってしまう。同年5月場所はついに前頭13枚目まで陥落すると初日から2連敗を喫したことで、3日目に不戦敗として現役引退を表明、年寄・音羽山を襲名した。大関陥落後から合計25場所(直後に大関へ復帰した2000年1月場所の関脇1場所を含む)も相撲を取り続けたが、これは当時小錦八十吉を越える最長記録だった。現役最後となった2004年5月場所2日目では幕内通算出場回数が1118回となり、小錦八十吉を抜いて史上単独7位(当時)になったことについて、「ハッハハハ。まぁ、長く取っているだけのことですから。でも勝たなくては長く取れない。良いことじゃないですか」と笑い飛ばして引き返したが、翌日の引退会見では場所前から引退を決意しており、どこまで相撲が取れるか確かめるために出場したことを涙ながらに明かした。そして、前日までの表情の違いに驚く報道陣に対して「全然悲しくない。やれるだけのことはやりましたから。悲しくは無いんだけど、なぜか、涙が出るんです」と素直な気持ちを表した。 貴ノ浪の断髪式は2005年(平成17年)1月30日に両国国技館で行われ、引退相撲の歴史を見ても屈指の数と言える400人以上もの来訪者が鋏を入れた。会場には当時入退院を繰り返していた二子山も病院から駆けつけて髷に鋏を入れると、貴ノ浪は堪え切れずに涙を流し、来場者の感動を呼んだ。なお、二子山はその4ヶ月後の同年5月30日に口腔底癌で死去、この姿が公での最後の姿となった。最後の留め鋏を入れたのは一代年寄の貴乃花親方だった(貴ノ浪の引退直前に貴乃花が二子山部屋を継承、貴乃花部屋となっていたため)。
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