現役時代・保存とは? わかりやすく解説

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現役時代・保存

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 14:06 UTC 版)

国鉄C57形蒸気機関車180号機」の記事における「現役時代・保存」の解説

1946年昭和21年)に、三菱重工業三原製作所にて製造製造番号 513)。新製時には新潟機関区配置され1963年昭和38年)に新津機関区移り1969年11月8日9月4日の説もある)に廃車となった製造から一貫して新潟県内機関区配置され、北は羽越本線秋田、南は信越本線直江津、東は磐越西線会津若松までを行動範囲としていた。新潟機関区新製配置直後戦後混乱期工作不良たたってトラブル続出していたが、1958年昭和33年)のボイラー換装後は安定した性能発揮し急行日本海」や「佐渡」などの長距離優等列車牽引重用された。 なお、新津機関区所属時代の当機は、1972年昭和47年)まで同区に所属し同年梅小路蒸気機関車館現役のまま動態保存され、現在山口線保存運転を行っているC57 1と、晩年1966年から1969年)には、1988年昭和63年)にJR東日本によって復元されD51 498とともに所属していたことがある1969年昭和44年)に無煙化促進によって羽越本線での運用大幅に削減され磐越西線旅客列車からの運用撤退によって新津機関区C57形大幅に減ることになった全般検査1年だった同機転属候補とされていたが、鉄道の街・新津蒸機を1両だけでも残したいとの声が新津機関区上がり、それに新津市賛同保存機として同機選ばれることとなった新津機関区生え抜きの他機を差し置いて同機選ばれ理由は、番号語呂良くD51 180やC51 180も同区に長年在籍しており、180という数字周囲特別な思い入れがあったことや、癖や故障比較少ないためである。 同年9月30日磐越西線での蒸機牽引による最終定期旅客列車日出谷 - 新津間で牽引後、10月12日新津市新津第一小学校校庭磐越西線側に静態保存された。保存際し新津駅引き上げ線延長した仮設線路校庭敷設し保存場所まで自力走行、運転室には当時矢川芳夫校長新津市長、赤津新津運輸区長らが搭乗しながら手を振り市民児童らの歓待を受け、同機自らによるくす玉割り神事の後、惜別の長緩汽笛何度も吹鳴した。現役期間中の最終走行距離は1,691,096.3 kmであった。この保存様子新潟市新津鉄道資料館展示されている。また、同館にはC57 1に関する資料展示されており、1961年昭和36年)の羽越本線列車衝突事故模様1972年昭和47年)のお召し列車牽引時の装飾品など、貴重な展示品もある。静態保存から2年後には屋根掛けられ新津機関区現在の新津運輸区職員OB新津市民らによる「新津市蒸気機関車保存協力会」や第一小学校児童の手により年に数回頻度手厚く整備清掃を受け、保存されていた。

※この「現役時代・保存」の解説は、「国鉄C57形蒸気機関車180号機」の解説の一部です。
「現役時代・保存」を含む「国鉄C57形蒸気機関車180号機」の記事については、「国鉄C57形蒸気機関車180号機」の概要を参照ください。

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