珍記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:34 UTC 版)
阿部は前述の通り、勝数の多さにかかわらず、順位戦においてはなかなか昇級に相当する成績を修めることができずにいた。それ故に、プロ入り以降の昇段はすべて勝数規定による形で、“地道に”通算560勝を積み重ねて八段まで昇段した後にA級棋士になった初めてのケースである。 2020年1月29日、第68期王座戦二次予選1回戦で村山慈明に勝ち、通算800勝を達成。史上22人目の将棋栄誉敢闘賞受賞が決定し、八段のまま将棋栄誉敢闘賞を受賞した史上初の棋士となった。 2020年7月15日、第33期竜王戦5組昇級者決定戦で藤倉勇樹に勝ち、勝数規定(八段昇段後公式戦250勝)で九段昇段。これにより、プロ入り以降、九段までの全ての昇段を勝数規定(公式戦通算810勝)で達成した史上初の棋士となった。 八段への昇段日が正しくは2005年2月3日であるところ、長らく2005年2月16日と間違えられており、2020年1月21日付けで訂正がなされた。
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珍記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 16:58 UTC 版)
対横綱戦28戦全敗は、1981年1月場所に記録してから2003年1月場所に闘牙が対横綱戦29戦全敗を記録するまでの間、対横綱戦未勝利の記録としては長らく単独ワースト1位の連敗記録となっていた(2018年11月場所終了現在は35戦全敗の魁聖・闘牙に次ぐワースト3位)。 1970年11月場所の三段目優勝は、三段目の全勝力士が不在となり6勝1敗同士の優勝決定戦が行われ、そこを勝ち抜いたものであるが、幕下以下の本割が1場所7番と定められた1960年7月場所以降、こうした形の「7戦全勝を伴わない三段目優勝」は3例(青葉山が2例目)しかない。
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珍記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 17:29 UTC 版)
七番勝負のタイトル戦における序盤3連敗後の4連勝でのタイトル獲得(史上初、2008年12月18日 - 第21期竜王戦7局 対羽生善治) 1種類のみのタイトル獲得で永世称号(永世竜王)の資格を獲得(木村義雄(永世名人)に続き史上2人目。但し木村義雄の場合はタイトル戦自体が1つ(名人戦)しか存在しなかった。複数種ある中の1種類のみは史上初) 順位戦A級在籍せずに永世称号資格獲得 名人戦七番勝負出場未経験棋士のタイトル獲得期数最多 - 25期(2011年9月27日 - 第59期王座戦第3局に勝ち、タイトル8期目に伴い南芳一の7期を更新) 名人戦未出場で永世二冠達成(史上初) 2か月の間に昇段3回(史上初 = 2005年10月1日に七段昇段、同年11月17日に八段昇段、同年11月30日に九段昇段)- 竜王戦の昇段規定改定も伴ったため 順位戦B級2組を経験せずに八段昇段(屋敷伸之に続き史上2人目、後に日浦市郎、神崎健二も「達成」) 七段と八段を名乗ることなく九段昇段
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珍記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 14:55 UTC 版)
上述の通り、北浜は、特に順位戦において好不調の波が顕著な傾向にあり、それゆえに、他の棋士が達成できないような珍しい記録も保持している。以下に北浜の珍記録を挙げる(いずれも達成したのは2013年3月現在で北浜のみである)。 C級1組で降級点を取得して、それを抹消することなくB級2組に昇級。 B級2組以下で降級点取得を経験しながら、B級1組に初昇級。
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珍記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/21 09:15 UTC 版)
「マッシーモ・ストラッツェール」の記事における「珍記録」の解説
ジロ・デ・イタリアのポイント賞とインテルジロ賞を両方を獲得しながら、区間優勝を一度も経験していない。区間優勝をせずにポイント賞やインテルジロ賞を獲得した選手は1993年のヤン・スヴォラダや1996年のファブリツィオ・グイディがいるが、他の年に区間優勝を経験しているため、ポイント賞を獲得しながら区間優勝経験がないのはストラッツェールだけである。
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珍記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 07:12 UTC 版)
1988年5月場所でヌケヌケを記録している。初日から白星と黒星を交互に挙げ、千秋楽で勝ち越しを決めた。
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珍記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:51 UTC 版)
「キャッチャーライナー」 1965年5月11日の読売ジャイアンツ(巨人)対広島カープ戦で、巨人の瀧安治の打球が広島の安仁屋宗八投手の膝を直撃し、跳ね返った打球を捕手の久保祥次が直接捕球した。瀧のこの打席の結果は「投触捕直」(投手が接触した後の捕手へのライナーという意味)と表現された。なお、安仁屋は膝へのライナー直撃の後も引き続き登板した。守備記録としては捕手に刺殺が記録された。 飛球なし試合 2009年4月18日のオリックス・バファローズ対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(東京ドーム)で、楽天の先発投手・岩隈久志と後を受けたマーカス・グウィンの2投手はオリックスの打者を三振とゴロによるアウトのみに打ち取り、4安打されるが得点は許さず、7-0で楽天が勝利した。
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