2003年1月場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:31 UTC 版)
この場所で西前頭筆頭だった雅山は、初日に大関の栃東を破る好調のスタートを切った後、2日目に休場明けの横綱・貴乃花光司と対戦した。取組では雅山の二丁投げが決まり、貴乃花は裏返しになって左肩から落ちた。多くの観客が雅山の勝利であると確信し、立行司・木村庄之助の軍配も雅山を指した。しかし勝負審判から物言いがつき、「両者同体」という判定により取り直しとなった末、貴乃花の上手投げが決まって雅山は敗れた。 しかしこの取組直後から、雅山が勝っていたとする抗議の電話が日本相撲協会とNHKに100件以上も殺到した。また、雅山は最初の二丁投げを放った際、右足関節外果を剥離骨折しており、それをおして出場した翌日の大関・朝青龍明徳戦で敗れた際に悪化させ、4日目から休場した。一方の貴乃花も、雅山の二丁投げを受けた際に左肩鎖じん帯を損傷させて翌日から途中休場、完治しない中で5日目から再出場したが、結局8日目の取組後に現役引退を表明した。雅山は大きな受難を被る事となったが、本人は「横綱(貴乃花)と二番とれたのは、少しは力がついてきた証拠かなと自信につながりましたね」と前向きに受け止めていた様子を引退後に語った。 雅山は、貴乃花とは幕内で11回対戦したが全敗している。最高位が大関でありながら10回以上対戦して全敗した記録は雅山以外では汐ノ海運右エ門が羽黒山政司に対して13戦全敗した例があるだけである。
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