引退後、独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 16:45 UTC 版)
親方となってから自ら部屋を持ちたいという思いが強くなり、一門外の元小結・大晃から名跡を買い、1992年9月に年寄・12代阿武松を襲名した。独立の意志や一門外からの年寄名跡取得については、師匠である押尾川に何の相談もなく行っていたため、師匠の逆鱗に触れてしまい事実上破門という憂き目に遭ったものの、同じ二所ノ関一門の大鵬親方(元横綱・大鵬)から助け舟を受けて大鵬部屋へと移籍して大鵬部屋の部屋付き親方となった。1994年10月には大鵬部屋から分家独立して阿武松部屋を創設した。 2010年1月に行われた日本相撲協会理事選では、立候補した貴乃花親方(元横綱・貴乃花)を支持したとの理由により、事実上、二所ノ関一門を破門された。この影響で1999年5月場所から約10年間にわたって務めてきた審判委員の役職からも退いた。2010年に発覚した大相撲野球賭博問題では、阿武松部屋から多数の関与力士を出し、さらに部屋で行われた賭博開帳の関与者4人が逮捕された責任を問われ、委員から平年寄への2階級降格と10年間昇格見送りの処分を受けたが、実際には2014年の役員改選と同時に行われた新たな職務分掌で委員に再昇格している。
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引退後、独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 06:34 UTC 版)
現役引退後の1998年5月場所終了後、出羽海部屋から分家・独立して「中立部屋」を創設した。2003年1月場所終了後には、元師匠である境川と名跡を交換して年寄・境川を襲名、部屋名も「境川部屋」となった。出羽海部屋からの分家・独立は、昭和以降では一門から破門された九重部屋を含めると3例目だが、円満に独立した点では武蔵川部屋(現:藤島部屋)以来2例目となる。なお、先代境川から独立を拒否された場合は退職して長崎に帰郷するつもりであったという。部屋設立当初は担保がなく新たに部屋を建てたくても融資を請け合ってくれる銀行も無く、知人に借りた資材置き場を仮の稽古場とし、弟子2人を当時の自宅であった2DKマンション内で過ごさせるなど厳しい状況にあった。半ば部屋運営を諦めていた頃、これで最後というつもりで訪ねた銀行の支店長が、学生相撲のファンであり、自身のことをよく知っていたので、支店長の厚意により融資を受けることが可能になった。 境川部屋からは大関・豪栄道豪太郎、関脇・妙義龍泰成、小結・岩木山竜太、前頭・豊響隆太、前頭・寶智山幸観などを育て上げ、親方としての手腕を発揮した。一方で2010年に問題となった大相撲野球賭博問題に関しては、豪栄道・豊響が関与していた責任を取る形で、同年7月場所において謹慎処分を受けた。
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