引退後、病との闘い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:32 UTC 版)
「モハメド・アリ」の記事における「引退後、病との闘い」の解説
引退後にパーキンソン病にかかり、長い闘病生活に入った。公の場に出る機会は大きく減ったが、難病の中でも社会に対してメッセージを発し続けた。 1990年に湾岸危機に際し、イラク大統領との直接対話のため、病をおしてバグダードに赴き、アメリカ人の人質解放に成功する。解放された人のうち6人が、早く帰れる飛行機には乗らず、アリと同じ飛行機に乗って帰国した。 1996年7月19日、アトランタオリンピックの開会式で聖火を聖火台に点火した。女子水泳選手のジャネット・エバンスが点火台まで聖火のトーチを運び上げ、アリは彼女からトーチを受け取り、病気のため震える手で点火用のトーチに火を点けた(点火用トーチに着火するとそのトーチは上昇し、上にある聖火台に飛び込んで点火される仕掛けになっていた)。聖火台の点火者は当日まで秘密にされていた。なお、この際、自ら川に投げ捨てたローマオリンピックの金メダルが再授与された。 2003年のMLBオールスターゲームで始球式を務めた。 2005年11月9日、アメリカ合衆国のホワイトハウスにて文民に送られる最高の勲章である大統領自由勲章を授与された。 2009年、アイルランド クレア県エニスの名誉市民に選出され、9月1日に記念式典が行われた。 2012年ロンドンオリンピックの開会式に参加、オリンピック旗掲揚の場面で姿を現した。 2016年6月3日死去。74歳没。死因は敗血症ショック。
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