引退・戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 01:07 UTC 版)
「ヴィルヘルム・フォン・レープ」の記事における「引退・戦後」の解説
ナチスに批判的だったものの、レープは1941年9月の65歳の誕生日にヒトラーから25万ライヒスマルクを下賜されている。1944年にはバイエルンで63万8千ライヒスマルクで荘園を購入しようとしたところ、これも下賜された。1944年7月のヒトラー暗殺未遂事件の直後、レープは他の多くの将官同様、保身のためヒトラーに忠誠を誓う誓紙を差し出している。 1945年5月、レープはアメリカ軍の捕虜となった。1948年にニュルンベルク継続裁判の1つ国防軍最高司令部裁判においてレープは懲役3年の判決を受けたが、捕虜となって既に3年が過ぎていたため釈放された。レープに対する判決は間違った証拠書類に基づくものだったが、今日に至るまで修正されていない。戦後は1956年にフュッセンで死去するまで、マックス・ヨーゼフ勲章の受勲者団体の代表を務めていた。レープは登山を趣味としており、それが嵩じて山岳案内人の講習も受けた。 レープの死の翌年、故郷のランツベルクにその名を冠した兵舎が置かれ、ドイツ連邦軍の第8山岳砲兵連隊や駐独米軍により使用されていた。東西ドイツ再統一に伴うドイツ連邦軍改編で1992年に同連隊が廃止されると、兵舎は廃止され用地はランツベルク市に移管された。跡地は工業用地として使用されたが、現在は団地になっている。
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