引退・復活そして死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 01:20 UTC 版)
「ジャック・ブレル」の記事における「引退・復活そして死」の解説
長きに渡ってフランスの国民的スターであり続けたジャックだったが、1973年にフランス領ポリネシアに移住して一線から身を引いた。1974年には「アイスコイ2号」で船出し大西洋横断を成し遂げた。また、アメリカの自家用操縦士の運転免許を取得して実際に航空機を所有し、1969年にはスイスジュネーヴのレ・ゼール (Les Ailes)飛行学校で計器飛行証明の試験に合格して、購入したリアジェット25の副操縦士まで務めることが出来たジャックは、ポリネシア在住時には小さな双発飛行機を駆ってタクシー飛行機の仕事を楽しんでもいた。 しかし聴衆から彼の記憶が消えることは無かった。1977年、ジャックはパリに舞い戻り、録音に取り掛かった。こうして発表された久しぶりの、そして最後のアルバム『偉大なる魂の復活』にはポリネシアで書いた18の新曲のうち12曲が収録されている。しかし、残りの6曲は永久に公開しないという契約が成された。 喫煙者であった彼は1974年の大西洋横断中、肺癌罹患が発覚し一度手術を受けていた。1978年、ジャックは再発した肺癌により、パリ郊外のボビニーで世を去った。彼は、フランス領ポリネシアマルキーズ諸島にあるヒバオア島アツオナのトレーター湾を見下ろす墓地に埋葬された。近くにはゴーギャンの墓もあるこの地は、ヒバオア島の観光地となっている。
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