民政党離党後
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1932年(昭和7年)、中野正剛らとともに国民同盟を結党。極東モンロー主義・統制経済を主張したが党勢を拡大することはできなかった。その後は1935年(昭和10年)に内閣審議会委員となったり、1940年(昭和15年)に第1次近衛内閣で内閣参議に就任したりしたが、目立った活躍もないままにやがて国民同盟は解党して大政翼賛会に合流、その顧問となった。しかし1942年(昭和17年)の翼賛選挙には出馬せずに政界を引退。戦後は公職追放となり、不遇のうちに1948年(昭和23年)8月2日に満83歳で死去した。
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