民政復帰と憲法改正の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 01:39 UTC 版)
「ミャンマー連邦共和国憲法」の記事における「民政復帰と憲法改正の動き」の解説
2010年総選挙と2011年3月の民政復帰を受けて、国軍系政党の連邦団結発展党(USDP)から大統領となったテイン・セインは国民民主連盟に対話を呼び掛け、国民民主連盟は2012年の補欠選挙(英語版)にアウンサンスーチーらを擁立して国政に進出した。その後、国民民主連盟は連邦議会の議席の25%を国軍に割り当てた憲法の規定や、英国籍の息子がいるアウンサンスーチーの大統領就任を妨害する目的で導入された憲法59条6項の規定を削除しようと試みるが、国軍や連邦団結発展党の抵抗によってことごとく頓挫した。 だが一方で、国民民主連盟は2015年総選挙で圧勝して政権を獲得すると、実質的な最高指導者である国家顧問を新規に設置し、同職にアウンサンスーチーを任命することで彼女が憲法に違反しないまま国政運営に参加できる道を築いた。
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