2015年総選挙
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「2016年スペイン議会総選挙」の記事における「2015年総選挙」の解説
2015年12月20日に開催された2015年スペイン議会総選挙は、近年でもっとも得票がばらけた総選挙となり、スペインの民主化(英語版)後としては初めて再選挙が行われる可能性が浮上した。スペイン1978年憲法の第99条5条によると、「最初の首相指名投票から2か月以内に議会の信任を得た候補がいない場合、スペイン国王は両院を解散させて再選挙を命じることができる」。 12月の総選挙の結果を受けて、20議席を失ったスペイン社会労働党内部(PSOE)では危機が勃発。翌年(2016年)5月に開催予定の党首選を前に自己批判を欠いているとして、評論家は書記長(党首)のペドロ・サンチェスを批判した。サンチェスは首相指名投票においてポデモスとの合意締結を試みたのに対して、社会労働党の各地域支部の代表はポデモスの交渉条項を拒否。国民党の組閣挑戦を許すことを支持し、社会労働党とポデモスが協定を結ぶ可能性は色あせた。社会労働党アンダルシア州支部代表でアンダルシア州政府首相のスサーナ・ディアスは、党内での公然とした反逆を主導していると報じられ、2016年の総選挙ではディアスがサンチェスに代わる党首として社会労働党を主導するのではないかとされた。 国民党(PP)とシウダダノス(C's)による右派同士の協定、または社会労働党とポデモスによる左派同士の協定が取りざたされたが、いずれにしても過半数を得ることはできなかった。そのため、統率力の危機に直面している社会労働党に注意が向けられた。国民党はマリアーノ・ラホイの首相指名投票で社会労働党が棄権するか、あるいは社会労働党が国民党との大連立に参加することを望んだ。シウダダノスは解散総選挙を回避するために、ラホイの首相指名投票では慎むように(棄権するように)社会労働党に対して圧力をかけた。一方でポデモスはサンチェスが党の統制を失っていることを示唆。社会労働党とシウダダノスは、再選挙で勢力を減退させて国民党とポデモスに益することを恐れた。
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2015年総選挙
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2015年5月の州議会選挙統一左翼(IU)での惨敗後、IU代表のアルベルト・ガルソンは12月の総選挙に向けて選挙協定を目指しパブロ・イグレシアスと会談した。両者の考えには一致する点は多く、合流を目指しプラットフォームアオーラ・エン・コムン(英語版)が設立されたものの、イグレシアスはポデモスと、たとえガルソン自身と直接のものでなくとも、IUとの間のいかなる提携関係をも拒否した。 2015年7月末、ポデモスは支持者による投票によって、他党と提携して設立するすべての選挙連合の名称の中に本来の党名の使用の義務化と、立候補するすべての選挙区での候補者を予備選挙を通じて決定することを決めた。この決定は他の政治勢力との間で選挙連合を設立することを可能とし、3つの自治州でそれは実現されることとなった。バレンシア州でのコンプロミス=ポデーモス=エス・エル・モメン(英語版)、ガリシア州でのエン・マレーア、カタルーニャ州でのアン・クムー・プデムである。
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