民政移管への紆余曲折
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 23:34 UTC 版)
「エジプト革命 (2011年)」の記事における「民政移管への紆余曲折」の解説
軍最高評議会による暫定統治が長引き、2011年10月の世論調査では半数近くが改革の遅れを指摘。また軍の特権を維持するなど自らに有利な新憲法を制定しようとする動きに反発し、11月18日より民政移管を要求するデモが発生。首都カイロ以外にもデモは拡大し、治安部隊との衝突により、3日間で死者20人以上、1100人以上の負傷者を出すに至り、11月21日にイサーム・シャラフ首相は内閣総辞職を表明した。しかしデモは収まる気配を見せなかった。 12月7日にカマル・ガンズーリ(英語版)を暫定首相とする政権が発足し、軍事や司法関連を除く大統領権限が軍より移譲された。その後も軍最高評議会に対するデモは発生し、治安部隊はこれを弾圧。12月20日にはデモ弾圧に抗議するため1500人がデモを起こしている。 2012年1月3日には人民議会選挙の投票が終了し、イスラム教系の政党が躍進。自由と公正党が第1党の座を確保し、1月23日に議会が初召集された。 2012年2月1日にはポートサイドで行われたサッカーのエジプト・プレミアリーグアル・マスリ対アル・アハリ戦で暴動が発生(エジプト・サッカー暴動)。その試合を観戦していたアル・アハリのサポーターがカイロで軍事政権に対する民間への政権移譲を求める大規模なデモが、この試合に対する警備上の不備と共に起こった。この暴動で、人民議会が緊急開催されるなど、政治情勢が一気に流動化した。 2012年5月23日から24日にかけて大統領選挙が行われたが過半数を得た候補がなく、6月16日と17日に決選投票が行われ、6月24日に初のイスラム系大統領となるムハンマド・ムルシーが当選者と公式に発表された。 しかし6月13日、法務省は軍の憲兵や情報部員に一般市民を逮捕する権限を付与すると発表。6月14日、最高憲法裁判所が選挙法に不備があり3分の1の議員について当選を無効と認定した。これに伴い議会は解散されることとなり、軍最高評議会は立法権掌握を宣言した。こうした動きは民政移管への動きに反するものとして警戒心を呼び、また憲法裁長官がムバーラク政権時代に任命されていることから、司法を利用した軍によるソフトクーデターとの批判も行われた。 ムルシーは6月30日に最高憲法裁判所にて宣誓を行い、正式に大統領に就任した。
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