民政移管期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 05:48 UTC 版)
「マルクス主義統一労働者党」の記事における「民政移管期」の解説
フランシスコ・フランコの死によって民政移管が進行していた1977年、POUMは合法化された。ところがこの合法化をうけてPOUMは二つに分裂した。一方は公的な合法化に反発し、1977年総選挙のボイコットを宣言した上で即時の民主制復活を要求した。もう一方は合法化の下で他の労働者政党と連合を組織して選挙に参加したが、上院・下院の両院において議席の獲得には至らなかった。選挙に敗北したPOUMは弱小政党として存続を続けた。党機関紙の『ラ・バターリャ』(スペイン語: La Batalla)では種々の極左政党の協調を主張していたが、1978年には他の政党との合併策も失敗に終わり、その翌年の選挙へは合併策の失敗を受けて出馬を辞退した。POUMの弱体化は続き、種々の都市に存在したPOUMの支部は、他の政党と合同したり地方の政治的連合体として独立した活動を進めるようになった。1980年、POUMはバスクとカタルーニャの地方議会選挙にそれぞれ地元の極左政党の支援へ回って参加、しかし同時にPOUMは空中分解を迎えた。1980年5月に機関紙の『ラ・バターリャ』が発行を終了したため、POUMの政党としての統一的なは終了したとされている。ただし、POUM自体が解党を宣言したことはない。支部の中でもヴァレンシア支部は1981年頃まで活動していた。旧POUM党員は「アンドレウ・ニン財団」(スペイン語: Fundación Andreu Nin)を設立し、POUMの活動を語り継いでいる。
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