暫定統治
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2011年、チュニジアから発生したアラブの春がシリアに波及し、2012年にはクルド人居住地からアサド政権軍が撤退する。するとPYDは住民の大半がクルド人で占められるシリア北部の3地方(西クルディスタン)に裁判所・刑務所・警察署などを設置して実質的な統治を始めた。2014年1月、PYDとその連合政党はクルド人居住地域の3地方(エフリン、コバニ、ジャジーラ)に暫定政権をうちたて、行政機関を整え、新憲法も導入している。シリアの反体制派の間では「アサド政権と敵対しない見返りに自治権を与えられた」との見方もある。一方PYDは、暫定統治は「自衛のため」で長年クルド人を抑圧してきたアサド「政権と裏取引などするはずがない」、と主張している。 シリア内戦において、PYDはアサド政権・ISIL・自由シリア軍のいずれとも距離を置いている(ISILと明確な敵対関係にある一方で、アサド政権や自由シリア軍とは状況や地域によって対立も協調もしており、第三勢力の様相を呈している)。コバニ包囲戦(2014年 - 2015年)では、三方向からコバニ(アイン・アル=アラブ)に攻勢を仕掛けたISILに対して、アメリカ空軍・ペシュメルガなどの支援を受けながら勝利を収めた。アレッポの戦い(2012年‐2016年)では、政府軍と協調し、政府軍によるアレッポ東部の反体制派包囲を支援、一部地域で反体制派との戦闘を担当し勝利を収めた。ラッカ解放戦(2017年)では、自由シリア軍系の反体制派との合同組織シリア民主軍として作戦に当たり、アメリカ軍の支援を受け、ISILに対し勝利を収めた。 現在はISILと戦闘を繰り広げつつ、統治下にある町々を防衛している。
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暫定統治
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使徒座空位が生じてから、新たなローマ教皇が選ばれるまでの間は、枢機卿が集団指導体制のもとバチカンを統治する。この枢機卿団の権限は使徒座空位の間に限った暫定的なもので、基本的には教皇空位であろうとも止められない日常業務の遂行と、どうしても新教皇選出まで待てず延期できない案件の処理のみに限られる。 使徒座空位に伴い、国務長官をはじめローマ教皇庁の各聖省の長官、評議会の議長はすべてその職務から自動的に(一旦)解任される。ただし、カメルレンゴ、内赦院長、サン・ピエトロ大聖堂首席司祭枢機卿、バチカン市国総代理枢機卿は例外である。使徒座空位が生じたときには、教皇を選出するための枢機卿の教皇選出会議であるコンクラーヴェが開催される。なお新教皇が選ばれると、解任された長官または議長は再任されるのが通例となっている。また、教皇ベネディクト16世は退位直前の2013年2月にコンクラーヴェの規則を変更し、投票権の有する枢機卿が全員揃った場合にコンクラーヴェの日程を前倒しして開催することを許可した。 使徒座空位の間に、枢機卿であるカメルレンゴをその長とする使徒座空位期間事務局が置かれる。使徒座空位期間事務局は、使徒座空位の間のみ使用できる使徒座空位切手や使徒座空位通貨を発行する権限を有する。
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