2014年 - 2015年(J2)
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「ジュビロ磐田」の記事における「2014年 - 2015年(J2)」の解説
2014年 クラブスローガン :「勝!!!」 京都元監督の加藤久がゼネラルマネージャー、OBである服部年宏が強化部長にそれぞれ就任し、元大分監督のペリクレス・シャムスカを監督に招聘した。 山本脩斗が鹿島、小林裕紀が新潟、安田理大が鳥栖へ移籍。 松岡亮輔が山形、金沢浄が群馬、川口能活が岐阜、植村慶が福島へ完全移籍。 チョ・ビョングクが上海申花へ完全移籍し、北脇里規が退団。 ポーランド・レヒア・グダニスクから松井大輔、G大阪から藤ヶ谷陽介、神戸からポポ、ブラジル・ポルトゥゲーザからフェルジナンドを完全移籍で獲得。 川崎から森下俊を期限付き移籍で獲得。福岡への期限付き移籍が満了した岡田隆が復帰。 新人として、ジュビロ磐田U-18出身である小川大貴(明治大学)と上村岬(筑波大学)の両選手が加入。 6月16日に山本康裕が新潟へ期限付き移籍。 6月24日にSEパルメイラスからチンガを期限付き移籍で獲得。 7月1日付で、「株式会社ヤマハフットボールクラブ」から「株式会社ジュビロ」へ商号を変更。また、2015シーズンからエンブレムを変更と発表 7月24日に山田大記がドイツのカールスルーエSCに移籍。 8月6日に坪内秀介を新潟から期限付き移籍で獲得した。 天皇杯は4回戦で敗退。 9月25日にシャムスカを監督から解任し、OBである名波浩が監督に就任。 J2リーグ戦は4位。J1昇格プレーオフは準決勝で山形に後半ATに山形のGK山岸にゴールを決められて敗れ、J1復帰はならなかった。 詳細は「2014年のJリーグ#J1昇格プレーオフ」を参照 2015年 クラブスローガン :「繋ぐ――Road to J1」 15年在籍した前田遼一がFC東京へ移籍。 金園英学が仙台、山崎亮平が新潟、阿部吉朗が松本、藤ヶ谷陽介がG大阪、ペク・ソンドンが鳥栖へ完全移籍。 既に期限付き移籍中だった菅沼実もペクソンドンと同じ鳥栖へ完全移籍。 竹重安希彦が栃木SC、菅沼駿哉が京都へ完全移籍し、ポポ、フェルジナンド、チンガのブラジル人三名は退団した。 広島から井波靖奈、岐阜から中村祐輝、ルフ・ホジューフからカミンスキー、ムアントンからジェイを完全移籍で獲得したことに加え、元磐田の選手である上田康太と太田吉彰が大宮と仙台から完全移籍で復帰。 パラマからアダイウトン、川崎から森島康仁、広島から川辺駿をそれぞれ期限付き移籍で獲得。 一方、継続選手は新潟からレンタル移籍中だった坪内秀介を完全移籍で獲得。 新人は市立船橋高校から志村滉、鹿児島城西高等学校から岩元颯オリビエ、中京大学から清水貴文が入団し、ジュビロ磐田U-18からは上原力也と石田崚真の内部昇格を発表。 1月28日、石田崚真に未成年飲酒・喫煙が発覚。仮契約を一旦解除し、2月1日〜7月31日の6ヶ月間は練習生としてクラブに所属すると発表。 今年度から開催されたJリーグ・スカパー! ニューイヤーカップ 鹿児島ラウンドでは浦和、清水、熊本と共に参加し2位の成績を収めた。 天皇杯は2回戦でアビスパ福岡に0-1で敗れた。 リーグ戦は 大宮、福岡と最終節まで自動昇格を争い、最終順位を2位とし2016年シーズンからのJ1復帰が決まった。 ジェイが20得点でJ2得点王を獲得。
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2014年 - 2015年(J2)
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「大分トリニータ」の記事における「2014年 - 2015年(J2)」の解説
2014年 監督 田坂和昭 武田洋平 西弘則 阪田章裕 (若狭大志) 高木和道 安川有 松本昌也 伊藤大介 (ダニエル) 末吉隼也 為田大貴 風間宏矢 林容平 2014年基本スタメン チームスローガン:前進×全心 田坂体制4年目。2013年のチーム内得点王であった森島康仁が川崎に、正GKを主に努めた丹野研太が古巣・C大阪にそれぞれ完全移籍。主将・宮沢正史は契約満了に伴い岐阜に移籍。その他には梶山陽平、松原健など計16人が退団した。補強面では鳥栖から室拓哉、C大阪から武田洋平、千葉から伊藤大介をいずれも完全移籍で、鳥栖から末吉隼也とクラブ初のコロンビア人となるジョナサン、新潟から増田繁人、名古屋から田中輝希、神戸からカン・ユングをいずれも期限付き移籍で獲得。更に新人として大阪体育大学から伊佐耕平が加入した。また、前年から期限付き移籍中の松本怜の期限付き移籍期間を1年間延長し、2014年新体制発表時点での選手数は25人となった。チーム創立から20周年の節目のシーズンになる事に併せ、6月21日の愛媛戦は20周年記念試合と銘打ち開催された(詳細については20周年記念試合を参照)。 アウェーで迎えた開幕戦は水戸に1-2で敗北したが、ホーム開幕戦となる第2節で北九州に1-0で勝利し、昨シーズンから続いたリーグ戦ホームゲーム未勝利記録を17でストップさせた。その後は極端に成績を落とすことは無かったものの順位を3位以上に付けることができず、J1昇格プレーオフの枠を磐田、千葉、北九州(クラブライセンスの関係によりプレーオフ出場権無し)、山形らと争う形となった。その後シーズン途中で大宮から加入したラドンチッチ(11月に膝の手術のため退団)、FC東京(シーズン前半は岡山に期限付き移籍)から期限付き移籍で加入した林容平、ラドンチッチとほぼ入れ替わりで加入したダニエルの活躍もあって39節終了時点でプレーオフ圏内の6位につけるも、第40節の水戸戦で逆転負けを喫し7位に後退。その後順位を浮上させることはできず、2年振りのJ1昇格プレーオフ進出を果たす事はできなかった。 またこの年開催された2014 FIFAワールドカップでは、大分U-18に在籍し2種登録選手としてトップチームに登録されていた坂井大将が、名古屋の杉森考起と共にトレーニングパートナーとして日本代表に直前合宿から大会終了まで帯同した。 2015年 監督 田坂和昭→柳田伸明 武田洋平 西弘則 ダニエル (若狭大志) 鈴木義宜 安川有 (山口貴弘) 松本怜 (後藤優介) 松本昌也 兵働昭弘 為田大貴 三平和司 伊佐耕平 (エヴァンドロ) (高松大樹) 2015年基本スタメン チームスローガン:結集×決蹴 ALL FOR J1 田坂体制5年目。伊藤が岡山に、末吉が古巣・福岡に移籍。そして林は移籍期間満了に伴いFC東京に復帰した。また、キャプテンを務めた高木が契約満了となり岐阜に移籍した。その他8人の選手が退団し合計12選手が大分を去った。一方補強面ではブラジル人のエヴァンドロ、東ティモール国籍を有するムリロ・アルメイダ、更には新潟から岡本英也、そして京都から三平和司が3年振りに復帰するなど前線の選手を多く補強した。また千葉から兵働昭弘が加入。その他にも8選手が加入し、大分に加入後即V大分に期限付き移籍となったフェリペ(3月にアルメイダと入れ替わりで復帰)を含め併せて14選手が加入した。キャプテンには2004年のサンドロ以来、11年ぶりの外国籍選手キャプテンとなるダニエルが就任した。 しかしシーズンが始まると戦術の浸透の失敗や、新加入選手が機能せず前述の末吉・伊藤・林らの穴を埋めきれなかった影響で開幕から低迷。第16節終了時点で2勝5分9敗の最下位に留まった事で、6月1日に監督・田坂を解任。当初は外部から後任監督を招聘する予定であったが交渉が不発に終わり、最終的には強化育成部長で監督代行も務めていた柳田伸明が7月2日より監督に就任することとなった。当月は東京V戦での15試合ぶりの白星を含む3勝と復調の兆しを見せたが勢いを持続させることはできず、また荒田智之、パウリーニョらの途中補強も実らず降格圏から脱出するまでには至らなかった。最後は4連敗を喫するなど不安定なチーム状況のまま21位でリーグ戦を終え、J2・J3入れ替え戦に出場する事となった。 入れ替え戦はJ3・2位の町田に2戦とも敗れ(トータルスコアは1-3)、J1経験クラブとして初のJ3リーグ降格となった。シーズン終了後に柳田が監督を退任した。 「J2・J3入れ替え戦#2015年」も参照
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2014年 - 2015年(J3)
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「FC町田ゼルビア」の記事における「2014年 - 2015年(J3)」の解説
2014年 チームスローガン:超戦 次の25年にツナグために 相馬直樹が4年ぶりに監督に復帰。6月にリーグを一時中断するまでの17試合を12勝4分1敗の成績で終え、首位に立った。しかし終盤になって失速し、最終的に3位となり、3年ぶりのJ2昇格はならなかった。なお、東京都サッカートーナメント(兼天皇杯東京都予選)は明治大学に敗れ、2年ぶりの天皇杯出場はならなかった。また、鈴木孝司が初代J3得点王を獲得した。 2015年 チームスローガン:+1〜熱き想いとトモニ〜 相馬体制2年目。第2クール終了(第26節)時点で山口と勝点差10ながら、第3クールで猛追して最終節終了時点で同じ勝点78となったが得失点差で山口に及ばず2位の成績。J2・J3入れ替え戦は2戦2勝の成績でJ2・21位の大分を破り、4年ぶりのJ2復帰を決めた。 「J2・J3入れ替え戦#2015年」も参照 3年ぶりに出場した天皇杯では、2回戦でJ1名古屋を、3回戦でJ2福岡を破ってベスト16に進出した(4回戦でJ1浦和に敗戦)。
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2014年 - 2015年(JFL)
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「鹿児島ユナイテッドFC」の記事における「2014年 - 2015年(JFL)」の解説
2014年 監督にはFC KAGOSHIMA監督の大久保毅が、ヘッドコーチにヴォルカ鹿児島コーチ(選手兼任)の登尾顕徳、コーチ(鹿児島ユナイテッドFCセカンド監督兼任)にバニーズ京都SC元コーチの森田栄治が就任。トップチームにはヴォルカ鹿児島から12人、FC KAGOSHIMAから11人が加入。さらに藤枝からDF冨成慎司、町田からMF柳崎祥兵、北九州からGK武田大を完全移籍で、北九州からDF谷口功を期限付き移籍で獲得。シーズン途中には元東京VのDF関光博が新加入、地元出身で岡山(岡山ネクスト)のFW新中剛史が期限付き移籍で加入した。 ファーストステージは1位のHonda FCと同勝ち点の2位。セカンドステージは3位。年間の勝点は佐川印刷京都に次ぐ2番目であった(順位はレギュレーションによりHonda・佐川印刷京都に次ぐ3位)。天皇杯では、2回戦で徳島に敗れた。シーズン終了後、大久保が契約満了で監督を退任。 11月29日、Jリーグ百年構想クラブの申請書類をJリーグに提出した。 2015年 元福岡監督の浅野哲也が監督に就任、ヘッドコーチの登尾顕徳がゼネラルマネージャーに就任。サムットソンクラームFC(タイ)からFW田原豊、岐阜からDF田中秀人、熊本からMF五領淳樹、沼津からMF高野光司が加入。期限付き加入中だったFW新中剛史とDF谷口功が完全移籍加入した。シーズン途中には水戸から期限付き移籍でDF山﨑貴雅、セルビア2部・FKシンジェリッチ・ベオグラードからFWネナド・ジヴコヴィッチを獲得。 2月23日、Jリーグ理事会においてJリーグ百年構想クラブとして認定された。天皇杯は、1回戦で松江シティFCに敗れた。11月8日のJFL・2ndステージ第14節で4位以内が確定し、11月17日にJリーグ理事会にて2016年からのJリーグ入会が承認された。 シーズン終了後、田原豊ら6人の選手が退団した。
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