民政党内閣の教化運動
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1929年7月に成立した浜口内閣は「十大政綱」を発表し、国体観念の涵養に留意して国民精神の作興に努めることを宣言する。そして教化総動員運動というものを急遽計画し、9月から12月にかけてこれを全国で実施する。この運動は、各地の教化団体・青年団体・宗教団体・婦人団体を中心として一般国民を巻き込む意図があり、その目的を「国体観念を明徴にし国民精神を作興すること」「経済生活の改善を図り国力を培養すること」の2点に集約し、その根拠を昭和天皇の践祚後勅語と即位礼勅語に求める。この運動は推進者の小橋文相が鉄道疑獄で辞任したことから尻すぼみで終わるが、各地社会教育団体が自発的に運動に参加したことから、一般国民の間に異端排斥の風潮を強める。 文部省は1930年度から学生生徒の思想善導を実施する。その中に特別講義制度があり、これは「我が国特殊の国体、国情、国民性等を明徴に」すること等のため、各校が外部講師に依頼して特別講義を実施するものである。初年度はまず官立高校で始め次年度から範囲を官立専門学校・実業専門学校、高等師範、大学予科に広げる。講師としては鹿子木員信・新渡戸稲造・高田保馬・川合貞一・前田多門・紀平正美の講義が多く、そのほか三上参次・辻善之助・柳田国男・大川周明らも動員される。教養話や時事談もあるが全体としては国体明徴等に関する講話が多い。当初は各校年間10時間程度実施する予定であったが、実際には初年度に4時間あまり、次年度に2時間たらずしか実施できていない。これは、高校ですらストライキや騒擾が頻発する当時にあっては、有名高士の説教自体が学生生徒から攻撃されたからである。
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