木村肇
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木村 肇(きむら はじめ)は、昭和初期の歌手。本名は横山 三吉(よこやま さんきち)。長野県出身。
経歴・人物
サラリーマンから日本放送協会(NHK)長野放送局(JONK)に勤務する。木村の歌唱放送を聴いた古賀政男にスカウトされ、テイチクの専属歌手となる。1935年(昭和10年)10月、『戦友を偲ぶ』で歌手デビュー。映画では日活とPCL(現・東宝)の合同作品『からくり歌劇』に出演。1938年(昭和13年)、小林千代子が団長を務める音楽グループ『プレイスポット』に参加[1]。戦時中に歌手を引退する。戦後は大阪府大阪市此花区にある映画館『明治座』の支配人になる。
すでに故人ではあるが亡くなった年、死因は不明である。
代表曲
- 『戦友を偲ぶ』(1935年)
- 『あゝ恋無情』(1935年)
- 『さすらいの唄』(1935年)
- 『風に吹かれて』(1936年)
- 『アラ恥ずかしい』(1936年)
- 『白波五人男』(1936年)
- 『女給心得帖』(1937年)
映画
- 『からくり歌劇』
その他
1935年発表の『さすらいの唄』は流行しなかったため2年後の1937年にメロディーを再利用し、歌詞と歌手を変えて裏町人生として再発売、大ヒットとなった[2]。
脚注
- ^ 『レコード音楽技芸家銘鑑 昭和15年版』1940年。doi:10.11501/1056525 。2025年7月12日閲覧。
- ^ 『わたしのレコード100年史 : わが音楽半世紀の足跡 随想』1978年。doi:10.11501/12434730 。2025年7月12日閲覧。
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