闘病生活
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1929年(昭和4年)11月、少佐に進級するも待命(休職に相当)となり、1932年(昭和7年)には予備役に編入。 当時東京九段にあった山階宮邸には開かずの間ができたと噂された。甥の筑波常治(1930年〈昭和5年〉生)は、1959年(昭和34年)出版の自著で次のように回想している。 ぼくたちは、その伯父を、ついぞ見たことがなかった。数人の近習が外部との連絡をしているだけで、それ以外のだれにも会いたがらず、ぼくたちは本家に行ったとき、離れ屋敷にちかよることさえ厳禁されていた。ぼくたちが一寸でもそっちへゆきかけると、ふだんはやさしい本家の女中たちが、たちまち血相をかえて、そんなことをしたら、どんなことになるかわからない、と押しとどめる。話にきくだけの『こわい伯父様』が住んでいる、垣根にかこまれた離れの屋根を、ぼくは恐ろしい猛獣でもいるかのような気持で、眺めたものである — 筑波常治、講談社『破約の時代』p.32
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