闘病・晩年・更なる事業計画とは? わかりやすく解説

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闘病・晩年・更なる事業計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/23 02:39 UTC 版)

浜野豊」の記事における「闘病・晩年・更なる事業計画」の解説

1970年昭和45年洞爺湖温泉町字月浦に23000m2の土地購入ダンプカーブルドーザー購入し整地道路設置した。「観光農場」の造成計画であった養鶏場ニジマスコイ養殖将来的には様々な蓄舎を建設し、「スイス風」牧場ペンションを建て、高級別荘地に仕立て、「観光休暇村」として分譲計画持っていた。また洞爺湖温泉では隣接ホテル1970年昭和45年買収した。この土地に総事業費20億円、400室のホテル増改築する構想企画。ただこの計画は病により実現には至らなかった。 しかし、豊の様々な事業目を付けていた、実業家からサイパン島のハファダイビーチホテルの再建計画への参画打診された。1969年昭和44年)に現地視察翌年から調理師その他従業員万世閣より派遣しホテル運営携わったその結果ホテル評判業績順調に向上した。しかし、建物限界があり、サイパン島オーナー、豊を紹介してくれた実業家、そして豊の共同出資1972年昭和47年2月から新築工事着工完成予定は、1973年昭和48年1月ホテル完成時は、洞爺湖湖水まつり名物花火サイパン打ち上げることも計画していた。この花火大会はホテルオープン記念というだけではなく太平洋戦争悲劇により、約28000人の日将兵、そして9000人の在留邦人3000人の島民4400人の米軍人の命が散った島。その鎮魂と平和へ願い込め花火打ち上げよう考えたホテル完成、そして花火大会観光客島民大喜び終わった。しかしそこに豊の姿はなかった。 豊の病気判明したのは1965年昭和40年)、国立がんセンター定期健診受けた時である。診断胃がん早期段階であった為、1966年昭和41年2月手術術後経過良好でその翌月に父、増次郎死去しただけに「父が身代わりになってくれた」と思ったその後、「抗がん剤」の投与治療続けながら、登別ホテル万世閣オープンサイパン進出準備など激務戦った。 がんは、5年再発しなければ、「完治」とみなされる主治医にそう告げられ1971年昭和46年10月には「全快祝い」を行っている。1972年昭和47年元旦には「もう、あの抗がん剤副作用苦しむこともない。この幸せ続きますように。」そう神棚手を合わせたこの年第11回札幌冬季オリンピックの年であり日本ホテル協会役員として、オリンピック選手でその職務にあたっていた。しかしこの頃、再び体調異変感じオリンピック終了と共に再び国立がんセンター検診受けた結果末期胃がん。「余命半年の命」と告知された。 様々な役職公職付いている豊に自分病気悲しんでいる時間はなかった。自分受け持っている職務片付け当時大学生息子全て打ち明け、「まずは身を固めろ。」と結婚懇請し5月には結婚式挙げさせ、万世閣後継者として披露し5月病院戻った。「一つでも治るという可能性があれば、その奇跡向かって挑戦してみる」と生きること執念燃やし病院から会社指示出していた。 8月には医師から家族に「このまま病院に居ると、ここで亡くなることになりますよ」と家族告げた。しかし本人事情知らないので家族従業員医師協力で豊を故郷8月21日に連れ帰った1週間程、自宅静養していたが、病状悪化し洞爺温泉協会病院8月28日入院した。 死の3日前、「洞爺湖見たい」との事で車椅子押し洞爺湖眺め行った。「戦争から帰って来た時と何も変わらない洞爺湖いいなあ。」と独り言のように呟き眠り落ちた1972年昭和47年9月7日志半ば家族見守る中、静かに息を引き取った偶然にも父と同じ病院の同じ病室であった享年53葬儀万世閣本館社葬として執り行われた。

※この「闘病・晩年・更なる事業計画」の解説は、「浜野豊」の解説の一部です。
「闘病・晩年・更なる事業計画」を含む「浜野豊」の記事については、「浜野豊」の概要を参照ください。

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