闘病と発信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:37 UTC 版)
「山口雄也 (闘病記著者)」の記事における「闘病と発信」の解説
2019年(平成31年)1月に『京都新聞』の連載記事「彩りの時代―多様性を求めて」での取材を受けた際、話の流れで出た言葉「がんになって良かった」が見出しに大々的に使われ、ネット上で「不謹慎だ」などと「炎上」し、誹謗中傷も殺到した。山口自身は「思った意図で伝わっていない」と納得のいかない気持ちを抱きつつ、自問自答を重ね、のちに著書に「二元化した『いい』『悪い』ではなく、葛藤も含めて前向きに受け入れられたら」として、この言葉に「言いたい」を加えた題名を付けている。 4月、白血病が再発する可能性が高いとの告知を受ける。医師に「新しい治療法が確立するのを待つか、ハプロ移植というリスクはあるが効果を期待できる治療法を選ぶのか」という選択肢を提示され、全国で最もハプロ移植の件数が多い兵庫医科大学病院での移植を決断した。 この決断から入院までの間に、山口は炎上した記事を目にし、本人の「深い思い」を知りたいと感じたNHKディレクターの木内岳志の接触を受け、4月に京都大学内のカフェで初めて対面している。このときに木内は、来月から骨髄移植のため入院する旨を初めて聞き、その覚悟に心を打たれて、密着取材することを決めた。密着取材は入院中の5月から8月までの4ヶ月に及び、9月に『ひとモノガタリ』で「"がんになって良かった"と言いたい ~京大生のSNS闘病記~」の題名で放送されて、大きな反響を呼んだ。 手術は6月3日、母親から点滴での移植を受ける形で行われた。前日の2日には、ツイッターで目にした、白血病の競泳選手である池江璃花子の投稿にメッセージを送ったところ、山口も驚くほどの反響があり、多くの応援が寄せられた。 移植は成功し、8月に退院したが、10月になって白血球数の急落と重度の肺炎を発症したほか、異常細胞が再び増加し、再び入院。この時期には自暴自棄になり、薬を飲まずに捨てていたことが発覚し、主治医らと面談になっている。睡眠導入剤や向精神薬の服用、臨床心理士のカウンセリングなどにより、徐々に落ち着きを取り戻した。その後、奇跡的に異常細胞が消滅。担当の医師は「母親のリンパ球が肺炎に伴う炎症によって活性化し、一過性に異常細胞を駆逐した」と推測している。 2020年(令和2年)4月からは、闘病で卒業研究ができなかったため再度4年を履修。殆どの単位は取得済であったため、自動車で九州、四国、北陸を巡ったほか、友人らや家族との時間を楽しんだ。夏にはブログをまとめた書籍『「がんになって良かった」と言いたい』を徳間書店から出版した。 『「がんになって良かった」と言いたい』は、2016年(平成28年)12月から2020年(令和2年)3月のブログ記事約20本をまとめた書籍で、死去した闘病仲間などについて綴った記事なども収録されている。
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