闘病・死去
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2012年4月13日午後に危篤状態となり、肺が「アスペルギルス症」に感染していたこともあり、肺炎で力尽きた。 2012年4月17日と18日に都内の斎場にて葬儀がしめやかに営まれ、会場ではフォーセインツの「小さな日記」などが流れる中で、仕事先関係者やファンなどが告別式には500人ほど参列した。17日の通夜には佐々木剛と高杉、横光克彦、フォーセインツのメンバーが来場、翌日の告別式には藤岡弘、と、速水亮、誠直也、白川由美らが訪れていた。 また、速水亮は荒木の追悼記事を自身のブログにて掲載し、荒木を最後までストロンガーと呼び、他の葬儀参列者らとともに荒木の棺を霊柩車まで送り届けた(そのブログのコメント欄などには荒木を偲ぶ声が寄せられた)。マスコミ陣の取材に対し、公私ともに兄貴分として荒木を可愛がっていた藤岡は声を詰まらせ、「時をともにした仲間なので非常に胸が痛い。早すぎる、無念………」と語り、荒木のことを「いつも明るくて前向きでチャレンジ精神が旺盛な人でした」。と語った。亡くなる3年前に「会って話がしたい」と言われ、久しぶりに再会した時に「藤岡さんを中心にもう一度、ライダーの仲間たちで頑張りたい」と熱っぽく語っていたという。藤岡が本人と最後に会ったのは二谷英明の通夜だったようで、「忙しくて会釈ぐらいしかできなかったけど、明るい顔をしていたので『大丈夫だ』と思っていたのですが…」と、肩を落とした[要出典]。 その後、夫人が自身のブログにて夫の葬儀に参列した芸能関係者、全国から集まったファン、葬儀手伝いなどでお世話になった人々に対して、深い感謝の気持ちを述べている。 漫画家の村枝賢一は、このことに伴い『月刊少年マガジン』で連載中の原稿を差し替え、『宇宙船』の7月号に追悼記事を掲載している[要ページ番号]。 訃報に際して、仮面ライダー関連では、佐々木が「最近は仮面ライダーのイベントで顔を合わすことも多かったので『一緒に何かやろう』って言ってたのですが」、高杉は「藤岡弘、さんを筆頭にもう一度みんなで集まりたかった」とコメントした。さらに、目黒区議選立候補のときにバックアップした横光は「よく飲みに行きましたが、とにかく格好よくてどこに行ってももてた。人なつっこくて本心でつきあえる人でした」とコメントし、「暴れん坊将軍」の御庭番コンビとして共演した朝加真由美は「4年間ほぼ一緒にいたので兄貴みたいな存在でした」とコメントした。
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闘病・死去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 07:01 UTC 版)
2009年に、胃癌を患い胃を全摘出した。この際の治療でこだわったのは、レギュラーだった『ヤッターマン』のトンズラー役をやりきることだった。この癌までは大病が無く、一度も入院した経験もなかったため、「その手の事務仕事が苦手で、ストレスになってたかもしれない」と語っていたが、マネージャーが全てやってくれたという。 2015年6月18日午後1時49分、急性呼吸不全のため、東京都で死去。満80歳没(享年82)。たてかべは生涯独身で、親族と事務所関係者が最後を看取ったといわれる。2009年の胃の全摘出後は、癌の再発はなかったものの、晩年まで体調が優れず、老衰のような形で亡くなったという。レギュラーを務めていた『ベン10』のマックス・テニスン役がたてかべの最後の仕事であった。2015年6月19日放送の『ドラえもん』の冒頭にて追悼テロップが流れ故人を偲んだ。たてかべの訃報に際してテレビ朝日 や堀内の他、木村昴、水田わさび、神谷明、千葉繁、井上和彦などがツイッターやブログ、ウェブサイトなどでその死を悼み、藤子・F・不二雄ミュージアムの公式ブログでも追悼コメントが掲載された。 たてかべの通夜は6月23日に青山葬儀所で営まれ、木村や水田のほかに小原乃梨子・野村道子・肝付兼太・よこざわけい子・野沢雅子・かないみか・山寺宏一・戸田恵子・喜多村英梨・山口勝平ら約900人が参列し、多数の声優や関係者からの供花が贈られた。前ドラえもん役の大山のぶ代は当時患っていた認知症の悪化もあり参列できなかった。その代わりにメッセージカードを寄せたが、封を開けずに棺に入れられたため内容は明らかにされていない。また、かないも自身のTwitterで母親の田上和枝も一緒に参列したことを語っている。通夜においては、葬儀委員長の堀内により挨拶が行われ、肝付が弔辞を寄せた。 たてかべの長年の盟友であった肝付は阪神タイガースファンだったたてかべに「阪神は優勝圏内にいますよ。優勝するといいですね」とV祈願をし、最後はスネ夫の声で「ジャイアーン、ジャイアンのくせになぜ先に逝っちゃうんだよ」と悲痛な声を挙げた。告別式は翌6月24日に同じ青山葬儀所にて営まれ、声優仲間など約600人が参列した。通夜に引き続いて肝付が弔辞を読み、「ドラえもんの26年は本当に楽しかったです。かべさんのおかげです」と感謝の言葉を述べ、スネ夫の声で「ジャイアーン!」と叫んで締めくくった。肝付もたてかべの死から1年4か月後の2016年10月20日に死去した。また葬儀委員長の堀内も挨拶に立ち、公式サイトで「あなたの教えを忘れずに最後まで涙を見せずに見送らせていただきます。」と表明し、当初は涙をこらえていたが、最後にはたてかべの遺影に向かって「かべさーん、かべさーん」と声を震わせて叫び、「日本一の師匠でした」と涙ながらに感謝の言葉を述べた。遺体には愛用の帽子とジャイアンのトレードマークであるオレンジ色のTシャツが着せられ、出棺の際には事務所の意向で白い鳥を模した風船80個が飛ばされた。その後、遺体は品川区の桐ヶ谷斎場にて荼毘に付された。 この告別式は、最終所属先であったケンユウオフィスが葬儀主催を務めた。なお、たてかべは先述の癌治療を受けていたときの酒の席で「葬儀は内輪でやってくれればいいから」「偲ぶ会はどうだ?」と堀内に軽い口調で言ったが、「葬儀は盛大にやるから」と言われ「俺たちって何て楽観的なんだ」と大笑いしたと、存命時のインタビューで語っていた。 ケンユウオフィスは、たてかべの死後も「永劫所属」という扱いで、たてかべのプロフィールを残している。
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