闘病生活と、その死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:57 UTC 版)
「ジャイアント馬場」の記事における「闘病生活と、その死」の解説
1999年1月31日16時04分、入院先の東京医科大学病院において、大腸癌(上行結腸腺癌)の肝転移による肝不全のため61歳で死去。戒名は「顕峰院法正日剛大居士」。墓所は兵庫県明石市の本松寺。 元子夫人の意向により外部には馬場の病状やその生命が危ないことを一切漏らしておらず、当時全日本の取締役に就任していたジャンボ鶴田や三沢光晴、全日本の重鎮だった百田義浩やジョー樋口にさえも知らせていなかった。 馬場の最期を看取ったのは元子、姪の馬場幸子(全日本プロレス取締役)、実姉のほか、レフェリーで運転手の和田京平、リングアナウンサーで専属秘書の仲田龍の5人だけであった。
※この「闘病生活と、その死」の解説は、「ジャイアント馬場」の解説の一部です。
「闘病生活と、その死」を含む「ジャイアント馬場」の記事については、「ジャイアント馬場」の概要を参照ください。
- 闘病生活と、その死のページへのリンク