闘病生活 ~ 死去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 16:47 UTC 版)
1992年秋から、更年期障害による眩暈や集中力低下を訴え連載を減らし、闘病生活に。その時の一連の経過は、著書「はらたいらのジタバタ男の更年期」・「男も『更年期』がわかると楽になる」などに詳しい。また経験を生かし晩年は男性更年期障害の講演も行った。 ほぼ同時期にちず子が乳がんを患ったが、はらはちず子がいないと何もできないことを熟知していたため、早期に退院できる方法として検査期間の短い乳房を残さない全摘出手術を選ぶ。手術後にちず子のもとを訪れたはらは、チューブ類が繋がれたちず子の様子を見て卒倒して意識を失い、ちず子とともに入院する。退院後は2人で旅行をするなどして楽しんでいたものの、それも長くは続かず、高校生時代から患っていた肝硬変を悪化させるが、飲酒量が多かったことなどもありすでに手遅れの状態だった。病院では、ナースコールすら押せないほど気弱な一面を見せ、2時間おきにちず子へ電話をしていた。このため、ちず子も不眠の日々が続き、時にはこっそり病院に泊まりこむ日もあった。「生まれ変わってもお前と夫婦でいたい」が最初で最後の夫婦らしい会話であったという。 2006年11月10日、肝臓癌により、埼玉県富士見市の病院で死去。63歳没。当初の死因は肝不全と伝えられたが、2006年9月に検査入院した際に、元々肝硬変であった上に末期癌であったことが判明したという。はらは生前、大の酒好きで知られていたため、訃報に接した大橋巨泉は「飲み過ぎたのかな」と語った。戒名は曼照院智徳道晃居士。葬儀後にちず子が語ったところによると、はら本人は亡くなる前、医師の忠告を無視して酒を飲み続けた末の63歳の死について「不服はない。本望だ」と言っていたという。 故郷に程近い高知県南国市の「はらたいらと世界のオルゴールの館」では原画を含め作品を鑑賞することができた(2004年12月30日閉館)。
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