著名な患者
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エルサレム王ボードゥアン4世(1161年 - 1185年)幼少の頃に発病した。しかし、13歳で即位して以来24歳で没するまで、勢力を増大させていたサラーフッディーンを向こうに回して自ら戦場に出て戦い続け、存命中エルサレム王国の独立を守った。 スコットランド王ロバート1世(1274年 - 1329年)第一次スコットランド独立戦争でイングランド王エドワード2世を破ってスコットランドをイングランドの支配から解放し、空位となっていたスコットランドの王位に就いた。晩年の1329年に発病し、同年没した。 朝鮮世祖王(1417年 - 1468年)第4代国王世宗の次男。兄の文宗の死後、甥の端宗が11歳で即位すると、幼い王を補佐する役割を担うが、端宗に退位を強要して1455年に自ら即位した。晩年に身体の皮膚が徐々にハンセン病に侵されるようになり、1468年に次男の海陽大君(睿宗)に王位を譲る形で上王となったが、その翌日に薨去した。 大谷吉継(1559年 - 1600年)日本の戦国時代後期、豊臣秀吉配下の武将。賤ヶ岳の戦いでは七本槍に匹敵する武功を挙げた。業病を患っており、顔が爛れていたと伝わっているため、おそらくはハンセン病に罹患していたと考えられている。石田三成と固い友情で結ばれていたと言われ、関ヶ原の戦いでは東軍有利と思いつつも、三成との友情に報いるために西軍について闘い、最後は自刃して果てた。 ある時開かれた茶会において、招かれた豊臣家諸将は茶碗に入った茶を、1口ずつ飲んで次の者へと渡して回し飲みを始めた。この時、吉継が口をつけた茶碗は誰もが嫌い、後の者たちは病気の感染を恐れて飲むふりをするだけであったが、石田三成だけは普段と変わりなくその茶を飲んだ(一説には吉継が飲む際に顔から膿が茶碗に落ちたが、三成はその膿ごと茶を飲み干したとされる。また三成でなく豊臣秀吉であるという話もある)。この逸話は本郷和人によると、典拠が不明の信憑性の乏しい逸話で、江戸時代に遡ることが難しく、明治時代のジャーナリストであった福本日南が1911年に刊行した『英雄論』では、三成ではなく秀吉の話として記載されている。 ダミアン神父(1840年 - 1889年)ベルギー人のカトリック司祭。ハワイ王国のモロカイ島でハンセン病患者たちのケアに生涯をささげ、自らもハンセン病で命を落とした。 1873年、許可を得てモロカイ島に渡り、ハンセン病患者の救済に尽力した。神父の活動は世界に報じられ、やがて救癩の使徒と呼ばれるようになった。1884年12月にダミアン神父はハンセン病(LL型)を発病した。このとき、癩菌発見に関わった細菌学者ナイセルの弟子の一人で当時ハワイでハンセン病の研究中だったアーニングがダミアン神父を診察した。当時はハンセン病に対する医学知識が乏しく、多くの医師が梅毒とハンセン病の区別がつかないばかりか、「梅毒はハンセン病の第4期」と考えていた学者さえいるほどであった。このためダミアン神父のハンセン病罹患の原因を「患者の女性と関係を持ったこと」であるという中傷さえ行われた。その後、ダミアン神父の発症原因については多くの研究が行われたが、そのうちの一人であるジョプリングは、ダミアン神父が発病したのは患者の世話などで癩菌に対する露出が濃厚であったことと、体質的に発病しやすいタイプであったと考えられると発表している。 カトリック教会はダミアン神父を1995年に福者、2009年に聖者に列した。 明石海人(1901年 - 1939年)静岡県沼津市出身で、ハンセン病を患いながらも短歌を発表した歌人である。ハンセン病発症前は小学校教師をしていた。ハンセン病の後遺症で失明や発声障害(神経障害のため喉頭機能障害になり、気管切開を受けた際に発声障害となった)なども併発した。腸結核のため長島愛生園で没した。没年の1939年にはベストセラー歌集『白描』を発刊する。 桜井哲夫 (詩人)(1924年 - 2011年) 村越化石(1922年 - 2014年)静岡県藤枝市生まれの俳人。15歳で治療のために離郷、1941年から群馬県草津町の国立療養所栗生楽泉園で暮らす。失明した後も、妻や職員の手を借りて句作を続けた。 ヨゼフ・パヴラキスハンセン病を発病して、1903年に遺棄の島と指定されたギリシャ王国のクレタ島東部に位置するスピナロンガ島に送られた神父である。スピナロンガ島はハンセン病の患者が次々に送られて悲惨な状態となっていたが、パヴラキスは患者を集めて建物班を作るなど組織化し、水の確保、および住宅・ダンスホール・劇場などの建設に尽力した。ギリシア政府は1954年に隔離を止め、ハンセン病の新規患者はアテネで治療することとなったため、1957年にアテネに帰還した。 北条民雄(1914年 - 1937年)自身のハンセン病体験に基づく私小説『いのちの初夜』で文學界賞を受賞。
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著名な患者
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ナポレオンと彼の家族の多くはスキルス胃癌で亡くなっている。しかしナポレオン自身はヒ素中毒で亡くなったとも信じられている。 逸見政孝 - 元アナウンサー、司会者。1993年9月、がん告白会見の3か月後の同年12月に48歳で死去。また、逸見の弟もスキルス胃癌で亡くなっている。 手塚治虫 - 漫画家。 成田三樹夫 - 俳優。闘病生活の末、55歳で死去。 佐久間正英 - ミュージシャン、音楽プロデューサー。61歳で死去。 堀江しのぶ - タレント、女優。23歳で死去。 岡崎律子 - シンガーソングライター。メロキュア結成の翌年に発症した。闘病生活をしながら創作活動を行っていたが、2004年に死去。 森徹 - スキー選手。1998年2月開催の長野オリンピック・男子モーグル日本代表候補だったが断念。同年7月、25歳で死去。 塩沢とき 石野見幸 小林すすむ 宮迫博之 - 初期のスキルス胃癌であったため一命を取り留め、休養を経て復帰している。 黒木奈々 - 32歳で死去。 渥美二郎
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著名な患者
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リチャード3世 (イングランド王) - 遺骨の鑑定によりこの病気が確認された。 ウサイン・ボルト ユージェニー・オブ・ヨーク王女 - エリザベス2世女王の孫。手術痕が見えるウェディングドレスを選んだ。 カート・コバーン - 背負っているギターの重さのせいで脊椎側彎症になった。 ヨー・ヨー・マ アボット (風俗嬢) - YouTube内で脊椎側彎症があると語られている。
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