『白描』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 06:04 UTC 版)
『白描』は、それまでに発表した和歌を海人が編んで出版した歌集で、売れ行き部数の正確な値はともかくとして、この歌集が当時としては異例のベストセラーになったことは疑いようのない事実ではある。しかし同時に、その出版の背景には、当時の国家のハンセン病政策が色濃くにじんでおり、海人の文学的感性のみによって歌を選び、歌集を編んだわけではない。 海人が配慮せざるを得なかった理由の第1は、海人が歌集を出版するためには、医師の内田守人らをはじめとする療養所の多数の人間の手をわずらわせざるを得ず、必然的に療養所に配慮するという自制が働かざるを得なかった点にある。 第2に、当時、療養所内の人間が外部に文章を発表する時には、事前に検閲を受ける必要があった事実がある。実際に、海人とほぼ同時代人である作家の北條民雄も検閲に悩まされていたことが北條の日記に書かれている。死後『北條民雄全集』の一部として出版された日記には伏字だらけの部分がある。 明石自身、『白描』はハンセン病患者の置かれた状況を知ってもらうための「一種のプロパガンダに過ぎない」との割り切った見方を、当時の手紙の中に書き残しており、「日本歌人」に載せたような歌は収録できなかった、と知人宛ての書簡に書いている。 『白描』は2部から構成されており、第1部が「白描」、第2部が「翳」と題されている。それぞれの性格は異なっており、「白描」が療養所内で行われる儀礼行事の機会に読まれた儀礼歌を中心に構成しているのに対し、「翳」のほうは、制限があるながらも、海人の文学的感性によって選ばれた歌で構成されている。戦前は第1部の「白描」の方を高評価する論調が多かったが、戦後はむしろ、第2部の「翳」を評価する傾向が強い。
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