『白娘子永鎮雷峰塔』
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『西湖三塔記』を基に明代末期に書かれた小説形式のもので後の『白蛇伝』説話発展の基点となったのは『警世通言(中国語版)』 第二十八巻 『白娘子永鎮雷峰塔』(明天啓4年(1624年)刊、馮夢竜編)である。日本語訳は松枝茂夫 訳 『三言二拍抄・白夫人がとこしえに雷峯塔に鎮められたこと』がある。しかし『西湖三塔記』では明確であった、白蛇の妖怪のその淫欲を満たし若者の心肝を喰う、という二つの目的のうち、後者が偸盗に置き換わっている。さらに物語も西湖を中心とした構成から、西湖のある杭州臨安府から蘇州府、鎮江府に舞台が移り、最後に再び西湖に戻るという凝った展開を見せるようになっている。 この小説を粉本として書かれたとされる日本の文学作品に、江戸時代後期の上田秋成作とされる『雨月物語』中の『蛇性の淫』がある。 『白娘子永鎮雷峰塔』あらすじ― 冒頭『西湖三塔記』と同様に西湖賞賛のくだりがあるが、長くはなく物語の最初と最後の舞台である西湖の地理を説明するためのものである。 南宋の紹興年間(1131-1162年)、杭州臨安府に李仁という南廊閣子庫の募事官がおり、家には妻の他に許宣という妻の弟が同居していた。許宣の親は生薬屋だったが、幼いころに二人とも亡くなり、許宣は22歳で母方の叔父、李將仕の生薬屋で番頭をしていた。ある日、清明節なので許宣は姉と李將仕に暇を請い、保叔塔(中国語版)寺へ先祖供養の焼香をしに行った。許宣はお参りが終わると帰途についた。ところが雨が降り出し、次第にひどくなり止みそうもないので通りかかった船を頼んで乗った。ほどなく服喪の髻(もとどり)と質素な髪飾りをつけ、白絹の上衣に細麻布の裾(もすそ)をはいた美しい婦人が、その身体を肩で支える青衣の小間使いを連れ、船に乗せてほしいと声をかけてきた。船頭が頷くので、許宣が許すと二人は乗り込み、自己紹介しあった。女は名を問われて、宮中の殿直を勤める白侍従の妹で役人の張氏に嫁いだが不幸にも夫は亡くなってしまったと答え、今日は夫の墓参りの帰りだとのこと。船が岸に着くと、許宣は李將仕の弟の店で借りた傘を白娘子に貸して、二人と別れた。その夜は白娘子のことを考えて眠れなかった。翌日、許宣は白娘子に聞いた箭橋の双茶坊巷を探したが、誰も彼女の家を知らなかった。思案しているとあの青衣の小間使いがやってきたので、彼女に家まで案内してもらった。そこは小洒落た家で、白娘子は許宣に前日の礼をすると、ご馳走を並べて歓待した。酒を四、五杯飲むと許宣は暇を乞い、翌日の来訪を約して帰宅した。翌日、白娘子は彼を見るとまた酒肴を並べた。飲みすすむうちに白娘子は、あなたとは前世の姻縁か、はじめてお会いした時から云々、あなたと夫婦になれたらどんなに、などと言いだす。許宣もいかにもよい縁で結婚したいのは山々だと思ったが、先立つものがないと寡黙になった。すると白娘子は青青に持ってこさせた包みを許宣に、これをお使いくださいと渡した。許宣が受け取りあけてみると中には真っ白い銀子が五十両あった。許宣はまっすぐ帰宅して銀子をしまった。翌日にはくだんの銀子を使い、購入した食料品でもてなしの準備をし、李募事夫婦を招き結婚したいと打ち明けた。そして姉に銀子を預け、これで義兄さんに世話を頼んでほしいといった。ところが、李幕事はその銀子の刻印を一目みて大変だ、俺もお前も死刑になるぞ、と叫んだ。四、五日前に邵(しょう)大尉の金蔵からで盗まれた銀子と刻印が一致していたのだ。降りかかる火の粉を避けるため李幕事が臨安府に訴え出た。府尹(ふいん)は話を聞いて一晩考えあぐねたが結局、許宣は捕えられた。韓大尹が許宣を白洲に引き出し拷問を命じる。許宣は慌てて詳細を話し、双茶坊巷の角に住む白三班の白殿直の妹の白娘子からもらったものだと釈明をした。捕吏臣の何立(かりつ)たちはさっそく許宣を引っ立てて双茶坊巷の女の家に行ったが、古いあばら家があるばかり。しかし、二階に踏み込むと、そこには花のような美貌の白い服を着た夫人が座っていた。何立たちは捕まえようとしたが、青天の霹靂のような音とともに女の姿は消え失せ、代わりに四十九錠の銀子が残っていた。許宣は「すべきでないことをした」とのことで杖刑の上、蘇州の牢城営での労役服務となった。 蘇州で許宣は、心苦しく思った李募事は邵大尉からの褒章の五十両を許宣に路銀として与え、李將仕は二通の添書きをそれぞれ押司の范院長と吉利橋のたもとで旅籠を開いている王主人に持たせた。范院長と王主人は賄賂を使い許宣を下げ渡してもらい、王の旅籠の二階に住むことになった。住んで半年を超えると、王主人が、尋ね人だというので急いで下り来たると、なんと青青がお供で轎には白娘子がいた。許宣見るよりお前の銀子泥棒のお陰で酷い目にあったと怒鳴りつける。白娘子は「あの金は亡夫が残したもので、親切づくで差し上げたもので、どうやって手に入れたのかは知らなかったなどと釈明をし、王主人の女房にも取り入り、許宣も白娘子への疑念を捨ててしまった。王夫婦の計らいもあって、十一月十一日に二人は天地を拝して結婚式をすませ、酒席果てた後、ともに紗をかけた夫婦の寝室に入った。この日以来二人は片時も離れず楽しみにふけった。翌年の二月十五日、許宣が友達の誰かと連れ立って承天寺の臥仏を参拝にいった。その帰り寺から出ると、門前で薬などを売っていた終南山の道士が許宣をみて、頭上に黒気が漂っており汝に妖怪が纏わり憑いているに違いない、と警告した。許宣は急に恐ろしくなり道士から道符を二枚もらい、一枚を髪中に入れ、もう一枚を家に帰って夜中に焼くことにした。許宣は白娘子が寝入ったのを見すまし護符を焼こうとすると、白娘子はあっとため息をつき、他人の言うことを真に受けるのかと責めて、護符を焼いてしまったが何も起きなかった。翌日、許宣はその道士を見てみたいと言う白娘子と道士のもとに赴いた。白娘子は道士に対して啖呵を切り呪文をかけると、道士は空中に浮かばされ降ろされたため、飛ぶように逃げてしまった。四月八日の釈迦生誕日に許宣は白娘子に流行の服を揃えてもらい承天寺の仏会を観ていると、周將仕の質屋の庫(典當庫)から金銀装身具が盗まれたという噂をきいた。すると、寺門の周りにいた男たちが、許宣の服や持ち物は盗品だと、許宣はすぐに召し拿られてしまった。次の日、長官の前で許宣が、これらは妻の白娘子にもらったものだと主張したので、ただちに袁子明という捕使臣に命じ、許宣を引き立てて王主人の家に行き、白娘子を探したが見つからない。しばらくすると周將仕のところへ家人が、盗まれたはずの金珠等が周の庫の中で見つかったと知らせにきた。周將仕のはからいで許宣は許されたが、妖怪等のことを申し出なかったという罪で杖一百回と配流三百六十里、鎮江府の牢城営での労役服務となった。 仕事で蘇州に来ていた李募事の口利きで、許宣は針子橋の下で生薬店をしている李克用という人の世話になり賄賂で釈放してもらった。そして李克用の店を手伝い、夜は五條巷で豆腐屋をしている王氏の上階に泊まることになった。番頭として働きだしたが、店の仲間たちと飲んだ帰りに歩いていると、上からヒノシの灰が落ちてきた。許宣が思わず上に向かって罵しると、慌てて婦人が下りてくる。見ると白娘子であった。許宣はこの妖怪め、お前のせいで二回も裁判にかけられた云々、と罵る。白娘子は、あの着物は夫が残したもので、盗品ではないと釈明し、一夜の夫妻は百日の恩というではありませんかなどと言葉巧みに丸め込まれ、許宣は色欲に迷わされて白娘子の二階に泊まってしまった。翌日、王氏に蘇州から妻が女中を連れて来たと話し、二階に同居させてもらうことにした。ひと月がたち許宣は白娘子と相談し、お世話になっている李の旦那様(原文は員外)と家族に挨拶しに行くことにした。ところが李旦那はいい歳ではあるが好色で、一目見ると白娘子をものにしたいものと邪心をもってしまった。そこで李旦那は六月になると母親に、十三日は自分の誕生日だから宴会を開いて親眷朋友たちにゆったりしてもらおうと話し、招待状を送った。十三日には皆集まり飲み食いし一日を過ごした。翌日になると婦人たちが二十人も祝いに訪れ、着飾った白娘子も青青を伴いやって来た。酒宴が進むと、白娘子は身を起して上衣を脱ぎ手洗いに立ちあがった。好機を待っていた李旦那は先回りして淨房の裏部屋に隠れている。旦那は心中淫乱となって浄房内を覗き込んだ。すると中には白娘子がおらず、大きな白蛇がとぐろを巻いており眼は金の光を放っていた。李旦那はたまげて逃げ出したが途中で躓き倒れてしまった。しかし白娘子の手洗い姿を覗いたことが知られると具合が悪いので疲れが溜まったふりを決め込んで部屋にこもってしまった。白娘子は事態を察して、李旦那が浄房の裏に潜んで自分の服を引いたり捲ったりして云々、などと許宣を口説いた甲斐あって、二人は李克用の家を出ることになった。許宣は番頭を辞めて白娘子からもらった銀子で一軒の家を借り、生薬を仕入れ薬店を開いた。商売は日に日に繁盛し大きな利益を得た。ある日、金山寺(中国語版)の和尚が勧進帳を持って現れ、七月七日が英烈龍王の誕生日なので参拝して焼香するよう勧めた。当日になって許宣は幇間の蔣和と一緒に金山寺に参拝することにした。白娘子は止めさせようとしたが結局、方丈に行かないこと、和尚と話さないこと、行ったらさっさと帰ることという三件の条件をつけて了承した。許宣は江(長江の古名)のほとりまで歩いて船で金山寺に到着した。許宣は龍王堂で焼香して歩き回っていると方丈の前に出た。入ろうとしたが白娘子との約束を思い出したが蔣和のすすめで方丈に入って一回りすると出てきた。上席で説法していた徳の高い和尚が、方丈に入ってそのまま出て行く許宣を見ると、急いで連れてくるよう侍者に指示した。侍者が戻ってきて見失ってしまったというので和尚は払子と禅杖を押っ取り(原文は、持了撢杖)自ら追いかけて方丈を出て、あちこち寺の外まで尋ねたが見つからない。許宣は帰ろうとしたが船着き場では風と波がひどくなり江を渡れない。折しも飛ぶような早さの船が近づいて岸辺に着くと、白娘子と青青が乗っており、許宣に早く船に上がるよう促した。後ろで怒鳴る声がして誰かが法海禅師が来られたと言った。禅師の姿を見ると、白娘子と青青は船を揺らして転覆させ飛び込んで水底に潜ってしまった。許宣は禅師に拝礼して自分を救ってほしいとたのみ、禅師の求めに応じて今までの事情を話した。禅師はあの女はまさしく妖怪なので、さっさと杭州に帰り、汝に再び纏わりついてきたら西湖の南にある浄慈寺まで自分を訪ねよと言った。許宣は李旦那に謝り再び二階の部屋にもどった。二か月が過ぎ、宋高宗が 孝宗を太子に立てたため恩赦が行われ、許宣も故郷の杭州に帰れるようになった。 家に着くと姉夫婦に四拝するように拝礼すると義兄の李募事は、あんなに面倒を見てやったのに如何なる料簡で妻を娶ったというのに連絡も寄越さぬ云々、苛々と捲し立てた。許宣は、妻など娶っていないというと、義兄は二日前に女中を連れた女性がお前の妻だと言ってきている。許宣は目を見張り口は呆けたが、李募事は許宣と白娘子をとりあえず同じ部屋に押し込んだ。許宣は怯えて命乞いをしたが、白娘子は自分の言葉を聞いてくれるなら万事休まるが、そう思わないならこの城市に血水を満たし、一人残らず大波に呑まれて濁水に沈んで、非業の最期を遂げさせると言う。そのとき庭で涼んでいた姉は、二人が喧嘩していると思い許宣を引きずり出したが白娘子は部屋の戸を閉めて寝てしまった。事情を聞いた李募事が二人の部屋を覗くと、大きな蟒蛇(うわばみ)が寝ていたので驚いたがその晩は何も言わなかった。翌日、李募事は許宣を呼んで彼の妻について問いただしたが、許宣はいきさつを打ち明け助けを乞うと、義兄は蛇取りの戴先生を紹介してもらい銀子を渡して大蛇退治を依頼した。しかし戴先生は勇んで李募事の家に乗り込んだが、白娘子と問答の末、正体を見せられて脅され先生、恐れをなし銀子を返し逃げてしまった。白娘子は許宣をつかまえ、不敵だとなじり再び城市全員を苦しめ、非業の最期を遂げさせると言った。許宣はすっかりおののき家を飛び出し、困り切って歩いていくと浄慈寺の前に出た。許宣は金山寺の法海和尚の言葉を思い出し、尋ねると監寺はが和尚は不在だというので許宣はすっかり落ち込み湖に身投げしようとしていると、法海禅師が現れた。許宣は救助を乞うた。すると禅師は鉢盂(はつう)を与え、白娘子の頭にこれをかぶせ動けぬよう押さえつけろ、と教えた。許宣は家に帰って恐る恐る禅師に言われた通りこっそりと白娘子の頭にかぶせ押さえ込んだ。すると女の姿はだんだん見えなくなり最後に鉢盂だけになった。そこに禅師が現れ、何やら念じ鉢盂を開けると白娘子は縮んで七八寸長になっていた。法海は、人に纏わるとは如何なる畜妖怪かと問い詰めると、白娘子は自分は大蟒蛇で、大風雨のときにこれを避けて西湖に来て青青と暮らしていたが、許宣に遇って春心が昂ぶってしまった。確かに天條は犯したが殺生はしていないからと禅師に慈悲を乞うた。法海は青青は何の妖怪かと問うと、西湖の第三橋下の淵にいた齢千年を経た青魚でたまたま遇著したので伴にしたが、一日も快楽に浸っていない、憐れなので助けてやってほしいと答えた。禅師は本相を現すよう命じるが白娘子は嫌がるので、経文を唱えて掲諦を召し出し命令すると、白蛇と青魚の姿が現れた。禅師はこれらを鉢盂に入れ、衣を裂いて鉢盂の口を封じ、雷峰寺の前に置き上に煉瓦で塔を建てるよう指示した。後に許宣は勧進して七層の宝塔を建て、これで白蛇と青魚の妖怪は世に出られなくなった。許宣は法海禅師の弟子となり雷峰塔で剃髪し僧侶となった。数年修行した後、坐ったまま逝った。 なお半世紀後の清代に、この小説は改編され『雷峯怪蹟』として『西湖佳話』(清康熙年間、墨浪子 編 巻15)に収録された。構成はほぼ同じだが、文章表現はかなり異なる。また、こちらの方が『蛇性の婬』の粉本だという説もある。
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