日本文学への影響
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大江健三郎は、知的障害を持つ息子・大江光を自身の小説に登場させる際に、しばしば「イーヨー」をその名前として使っている。この名の初出は『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(1969年)である。現実の光は大江家では本作に由来する「プーちゃん」のあだ名で呼ばれていたが、大江は小説に用いるに当たって同作の別のキャラクターの名前に変えたのだという。1983年の『新しい人よ眼ざめよ』の最後では、彼が「イーヨー」の名を拒んで「光」と本名で呼ばれるようになった場面が描かれており(この部分は大江光が現実に「プーちゃん」のあだ名を拒むようになった経緯をもとにして書かれている)、以降の大江の作品では、例外的なものを除いて「光」「ヒカリ」などの名が主に用いられるようになった。 高橋源一郎は、「さよならクリストファー・ロビン」と題する短編小説を2010年に発表している(『新潮』1月号)。この作品では様々な物語の登場人物が自分が物語の登場人物に過ぎないことを自覚し始めた世界を描いており、「プーさん」の登場人物たちは「虚無」に対抗するために自分自身で自分たちの物語を書き続けるものの、最終的には全員が書くことを諦めてしまう。高橋は本作を表題作とする短編集『さよならクリストファー・ロビン』(2012年、新潮社)で第48回谷崎潤一郎賞を受賞している。
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日本文学への影響
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「ドルジェル伯の舞踏会」の記事における「日本文学への影響」の解説
ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』の文体や心理描写は、昭和の日本文学者に様々な影響を及ぼし、1924年(大正13年)のフランス語の原作発表後、1930年(昭和5年)の小林秀雄の作品紹介や、1931年(昭和6年)の堀口大學による翻訳発表の流れの中で、堀辰雄、横光利一、三島由紀夫、大岡昇平などの諸作品に影響を与え、その結果はそれぞれの具体的な諸作品となって現れた。 特に、堀口大學の翻訳が日本で発表されると、『ドルジェル伯の舞踏会』が醸し出す、様々な性格の様々な立場の人物がお互いに影響を及ぼし合い、理解し合ったり誤解し合ったりする「局地戦闘の模式図のような」小説が、「原作の香気をそのまま」にもたらす手法によって翻訳されたことで、フランスでは長い心理小説の伝統に連なる古典的作品とされた『ドルジェル伯の舞踏会』が、昭和の日本文学の上では、先駆的な役割を果たした。堀口大學の翻訳文に魅せられた一人である三島由紀夫は15歳で初読し、何度もくり返し読んだ「少年時代の私の聖書であつた」と述懐している。 ちなみに、最もラディゲに強く影響を受けていたとされる堀辰雄は、フランス語の原文でラディゲを読んでいたため、堀口大學の訳文が出る以前から、ラディゲに影響された作品を創作し、横光利一は小林秀雄や堀辰雄のラディゲ紹介の影響で、その心理手法を取り入れたとされている。 具体的な作品への影響をまとめると以下のようなものが挙げられる。 横光利一の『機械』における心理描写を中心にして外形の描写はその心理的なリアリズムに触れて来るものだけを取り入れた方法。 堀辰雄の『聖家族』における論理的、理知的に言葉を捜して表現された描写方法や、細部の叙景の類似点。 三島由紀夫の『盗賊』における上流階級を舞台にした心理小説、人工的で精緻微妙な文体と『ドルジェル伯の舞踏会』独特の乾燥したエレガンスな文体模倣や、大団円への効果へと収斂してゆく手法やアフォリズム 。『美徳のよろめき』におけるヒロイン・節子と『ドルジェル伯の舞踏会』のマオの優雅さの共通点。 大岡昇平の『武蔵野夫人』における登場人物たちの心理の読み違えや連鎖反応。これは『ドルジェル伯の舞踏会』における登場人物たちの心理を、将棋の駒のように動き、象牙のかち合う乾燥した音がすると評したアルベール・ティボーデの言葉から大岡昇平が創作意欲をそそられたことによる。また『武蔵野夫人』のエピグラフでは、『ドルジェル伯の舞踏会』の冒頭文である、〈ドルジェル伯蘭夫人のような心の動きは時代おくれであろうか〉が付されている。
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日本文学への影響
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日本の文学作品に、江戸時代後期の上田秋成作とされる『雨月物語』中の『蛇性の淫』は、『雷峰怪蹟』または馮夢竜の警世通言 第二十八卷 白娘子永鎮雷峰塔を翻案したものとされるが、いずれが粉本なのかという疑問に対し、麻生磯次は語句比較によって上田秋成は両方を参照したと判断している。 谷崎潤一郎『蘇東坡』は卷之三『六橋才蹟』から、『鶴唳』は卷之五『孤山隱蹟』から着想を得ているとされている。
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日本文学への影響
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『源氏物語』桐壺の巻 - 桐壺帝と桐壺更衣の悲恋の描写には、長恨歌を髣髴とさせる部分がたくさんある。当時の貴族層の誰もが知る長恨歌のエピソードを、紫式部は上手く平安王朝風に置き換えて、物語に取り入れた。
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