日本文学等への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 07:12 UTC 版)
拾遺和歌集の平兼盛の歌により「安達ケ原」は鬼伝説と結びつくことになり、文学作品の題材やモチーフとして使われるようになった。詳細は「黒塚」の項、参照の事。ただし、以下の和歌にもあるように、その他の和歌では、鬼伝説または鬼婆伝説と結びつくようなものはない。なぜ鬼婆伝説が生まれたのかについては定かではないが、古代律令の時代、特に坂上田村麻呂の蝦夷討伐遠征以降、東山道の陸奥方面においては、刑罰としての流罪(つまり、罪を犯したものが居住地を追われ流された)の場所としての意味合いがあった可能性がある。そのため、当該地においては蝦夷対策として、または俘虜が東山道を通じて都までこないようにするための作り話であった可能性も否定できない。 なお、和歌に於て「真弓(まゆみ)」という言葉が出てくるが、「檜(ひのき)= japanese cypress」で作られた「弓(bow)」の事であり安達地方の名産品として、朝廷へ献上された事によるものと解釈されている。これは、古代律令制における税制である「租庸調」の内、調(絹織物や名産品)を朝廷へ収めた事によるものと推定されている。
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