日本文学の翻訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 15:27 UTC 版)
「アウグスト・プフィッツマイアー」の記事における「日本文学の翻訳」の解説
ウィーンに移ったときに、ウィーンの王立図書館でフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本から持ち帰った60冊の日本の書物と出合い、その中から柳亭種彦の『浮世形六枚屏風』を選んで、1847年にドイツ語訳を出版する。これは初めて外国語に翻訳された日本文学と言われる。巻末には原本の覆刻もついており、覆刻を担当したウィーン大蔵省印刷局のアロイス・アウアーは歌川豊国の57枚の挿絵とともに日本語活字も製作し、印刷史的にも貴重な一冊となった。 文芸誌での評価は芳しくなかったが、ベストセラーになり、これをきっかけに、英語訳、イタリア語訳、フランス語訳も刊行された。本人によると、この翻訳のために4万語を収集して自身で辞書を作成しており、これはウォルター・ヘンリー・メドハーストの辞書(7000語)やシーボルトの辞書(2万語)よりも語彙数が多いという。 1851年に『日本古代詩の研究』を出版。1872年発表の「Beiträge zur Kenntnis der ältesten japanischen Poesie」は、万葉集の200首余りを訳出したものであり、ヨーロッパにおける万葉集研究の開拓的存在だといわれる。その他、約80の日本文学作品を訳した。
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