日本文学者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 00:03 UTC 版)
「小森陽一 (国文学者)」の記事における「日本文学者として」の解説
1987年、夏目漱石の『こころ』の解釈を巡って三好行雄と論争し、注目を集める。 日本の明治以降期における西洋化の試みを、植民地的無意識の形成、列強への過剰な模倣など、ポストコロニアル理論研究の視点から再考している(『ポストコロニアル』)。さらに、日本近代文学、特に漱石の作品における植民地的要素の分析を行う(『世紀末の予言者・夏目漱石』『漱石をよみなおす』p251)。『日本語の近代』(岩波書店)の第2刷りの追記にあるが、この本の多くの部分は安田敏朗の仕事を注記なしに引いたもので、問題となった(すが秀実『帝国の文学』)。 また、NHK大河ドラマ「春の波涛」の盗作問題をめぐる裁判では、国文学の専門家としてNHK側で証言している(山口玲子『NHK犯歴録』)。
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