作品への影響
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三島の小説や戯曲には、美津子をモデルにしたもの、投影させたものなどが少なからず散見され、以下のようなものがある。 三島は美津子の幽霊を登場させた短編『朝顔』を1951年(昭和26年)に書いているが。『朝顔』には次のような記述がある。 妹の死後、私はたびたび妹の夢を見た。時がたつにつれて死者の記憶は薄れてゆくものであるのに、夢はひとつの習慣になつて、今日まで規則正しくつづいてゐる。(中略)夢の中では妹は必ず生きてゐた。医者から見離された身が、はからずも奇蹟的に助かつて、私たち家族のまどゐのなかに再び見出されたりするのである。「よかつたね、治つてよかつたね」 さういひながら、私は一脈の不安をぬぐえずにゐる。もしかこれが夢ではないかと疑ふ気持をぬぐえずにゐる……。私は永い旅を終へて家へかへつた。(中略)しばらくして玄関を出て来たのは妹である。 — 三島由紀夫「朝顔」 三島の戯曲『朱雀家の滅亡』(1967年)のヒロイン・璃津子(りつこ)を演じた村松英子は、この女学生のヒロインの名が「美津子」と似ていることから、「この作品は先生のノスタルジーですね」と三島に尋ねてみると、三島は優しく微笑し、「そうだよ。僕のノスタルジーだよ」と言ったという。また、三島の戯曲には他にも『美濃子』(1964年)という恋愛劇がある。 短編『岬にての物語』(1946年)は、兄と妹の愛を暗示しているとされている。他にも、短編『家族合せ』(1948年)、『罪びと』(1948年)、長編『幸福号出帆』(1955年)、『音楽』(1964年)、戯曲『熱帯樹』(1960年)など、兄と妹の異性関係、近親相姦を描いた作品がある。粉川宏(集英社の三島担当編集者)は『熱帯樹』に関し、「亡き妹・美津子さんに寄せる思いが、戯曲のかたちで告白されているように感じられてならなかった」とし、瀬戸内寂聴は、「兄と妹の近親相姦を書いた『熱帯樹』という戯曲があるけれど、妹さんを思う気持ちは強かったんですね」と語っている。三島は『熱帯樹』の劇場プログラムの中で、「肉慾にまで高まつた兄妹愛といふものに、私は昔から、もつとも甘美なものを感じつづけて来た」とも記している。 『仮面の告白』の園子は、三島の初恋の女性・三谷邦子(三谷信の妹)がモデルとなっているが、野坂昭如はそれに関し、「園子には、妹の投影があった、犯してはならないというためらいがあった」とし、「しかるに園子は、敗戦後すぐに婚約、その年の暮、結婚している。美津子を作品の中で、娼婦に仕立ててしまうのは、この園子の女心の変転ぶりに、自分がひたむきであっただけ、絶望し軽蔑し、これを、妹にも及ぼしたのだろう」と、三島が短編『家族合せ』(1948年)において、妹を娼婦にしている理由と並行しながら作品分析している。 三島は、短編『罪びと』(1948年)で、リヤカーで荷物運搬中に飲んだ水が原因でチフスになり亡くなるミッション・スクールの「郁子」を登場させているが、この美津子をモデルにしている郁子は主人公の許婚という設定となっている。また、郁子に水を飲むことを勧めた同級生は、主人公と夏休みに避暑地であやまちを犯したという設定で、三島と軽井沢で接吻をした三谷邦子(『仮面の告白』の園子)をモデルとしているが、このことについて村松剛は、「妹の死」と「失恋」という2つの主題が、この小説では混ぜ合わされていると述べている。また、村松剛が、『熱帯樹』に登場する妹の名も「郁子」、『純白の夜』のヒロインのも「郁子」で、この3作品に同じ名前を付けたことに何か特別な意味があるのかと三島に尋ねた時に、「そんなことに気がつくのは、君くらいのものだろう」と三島が苦笑し、そのことについてあまり言いたくないという感じだったので、村松は話題を転じたという。 松本徹は、「天使的な純粋無垢さへの切実な希求」(『苧菟と瑪耶』、『サーカス』、『岬にての物語』、『頭文字』、『盗賊』、『翼』など)と、「退廃的な色彩、同性愛を扱ったもの」(『中世』、『煙草』、『殉教』、『仮面の告白』、『禁色』など)、という2つの三島の相反する作品系列を挙げながら、さらにそこに、もう一つの平行する系列として、「近親相姦を扱ったもの」(『軽王子と衣通姫』、『春子』、『家族合せ』、『火宅』、『灯台』、『聖女』、『熱帯樹』など)を挙げている。そして、『家族合せ』の作中、兄が〈僕の体は十歳の子供にすぎないんだ〉と言う場面に松本は注目し、「彼は〈純潔〉という不能に掴まれた〈十歳の子供〉」で、「してはならぬ行為へと誘われた時、禁忌を犯す恐怖によって、不能に陥ったまま、今に至っている」として以下のように解説している。 この兄に等しい人物たちが、他の二つの系列の作品では、ひたすら「純潔」を目指すか、性的欲望を満たすため同性へと向かう。単純化すれば、こういう道筋が見えてきそうに思われます。すなわち、近親相姦への恐怖によって、女への性的要求を自ら封じ込め、不能に陥るが、同性愛者と自分を規定することによって、その領域においてのみ欲望を解放した、と。基軸になるのは、実は近親相姦への恐怖なのかもしれません。そこから、『仮面の告白』とか『禁色』になったと見ることができそうです。 — 松本徹「多面体としての性―『禁色』『潮騒』『家族合せ』など」 そして松本は、「近親相姦とか不能」といったことに言及したが、それは、三島の「感受性が鋭敏で、倫理意識が常人以上に厳しいからこそ、こうなった」と考察しながら、三島が「男が成人する道筋をゆっくり、さまざまな角度から照らし出し、克明に補佐しながら、たどった」とし、その性は詳細に見ると「多面体」であり、「そこから三島は、幾多の優れた作品を生み出している」と解説している。
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