作品分析
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 10:19 UTC 版)
西原千博は、自分たちの住む街について、作中で直之が「人間も町も滅びて行くんですね。廃市という言葉があるじゃありませんか、つまりそれです」、安子が「こんな死んだ町」と発言している箇所を引用し、廃市、つまり廃墟とは即ち「死」であり、廃墟の中に存在していた直之は廃墟を内面化していたとも言えるのではないかと述べ、直之が自殺した理由も、そこに理由があるのではないかとしている。そして作中では舞台となる町の他の町のことが殆ど書かれず、町を「死んだ町」と呼ぶ登場人物たちも町を変えようとしたり、出て行ったりしようとしないことから、「この「廃市」というのがそもそも死を象徴する空間であり、その死の象徴に彼らが囚われているとも言えるのではないだろうか」と考察している。 古閑章は、『廃市』には「人間の了解不能性という命題や、その了解不能性を恋愛によっても解消しえない心の闇が描かれている」と指摘し、登場人物は皆、夫婦であったとしても了解し合うことのできない人間存在(実存)の問題に翻弄された存在であるとしている。また、小説の構造として、語り手の「僕」は事件の真相を隠したり、謎を未解決のままに放置したりという、読者に混乱を与えるような語り方をしているために、読者は作品世界への参入を意図的に促される仕組みになっており、この小説は廃市を去った後にこの夏の出来事は忘却し、廃市の問題とは無縁の世界で生きてきた「僕」が、読者と一緒に恋愛の不可能性を認識し、10年前の体験を新たに意味づける作品でもあるとしている。
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