三谷信とは? わかりやすく解説

三谷信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/11 02:02 UTC 版)

三谷 信(みたに まこと、1925年大正14年)3月4日 - 2000年平成12年)7月5日)は、日本の実業家。作家三島由紀夫の幼少・青少年期の無二の親友。『仮面の告白』の草野のモデル。同書の園子のモデルは妹・三谷邦子。

来歴

学習院初等科から学習院中等科を経て、1944年(昭和19年)9月に学習院高等科を卒業するまで、14年間にわたり三島の同級生の親友であった。1944年(昭和19年)9月から1945年(昭和20年)9月まで幹部候補生として兵役に就いた。

1948年(昭和23年)3月、東北帝国大学(現・東北大学法学部を卒業。日本興業銀行を経て、1979年(昭和54年)4月、興和不動産に監査役として1996年(平成8年)まで勤務した。

1985年(昭和60年)7月、『級友 三島由紀夫』を学習院時代の恩師・松尾聰の序文を入れ、笠間書院で刊行したが、三島夫人・平岡瑤子より著作権上の理由で回収要求にあい、絶版を余儀なくされた。瑤子夫人没後の1999年(平成11年)12月に、中公文庫で再刊。

他に『決定版 三島由紀夫全集第38巻・書簡』(新潮社、2004年)に収録されている(手紙・葉書文のみ)。

家族・親族

父・三谷隆信は、駐仏大使学習院女子部長を経て、1965年(昭和40年)まで昭和天皇侍従長を務めた。伯父・三谷隆正プロテスタント哲学者。同じく伯父(父・隆信とは異父兄)は時代小説家・劇作家で著名な長谷川伸

妻・凉子の父・岸喜二雄は、神戸税関長・日本興業銀行頭取・日本銀行政策委員富士重工業会長を務めた。岸は正岡子規の従弟。

信には妹が3人にいたが、すぐ下の妹・三谷邦子は三島の初恋の女性で、『仮面の告白』の園子のモデルとなった。若くして永井松三外務次官の長男銀行員の永井邦夫に嫁いだ。

二番目の妹・道子は聖心女子学院を経て、聖心女子大学を首席卒業後、浅尾新甫日本郵船元社長の長男外務官僚の浅尾新一郎に嫁いで、浅尾慶一郎の母となった。

三番目の妹・正子は聖心女子学院聖心女子大学を通じ美智子皇后の学友で、無二の親友。鮎川義介の長男鮎川弥一に嫁いで、鮎川純太の母となった。

著書


三谷信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)

三島由紀夫」の記事における「三谷信」の解説

学習院時代同級生銀行員三谷入隊前後から敗戦直後の間に書簡取り交わしその後交流した。『仮面の告白』では、三島交際していた妹・邦子と共に、「草野」として登場している。三谷三島願いを、「日本の泉を汲み自分なりにその泉を“豊饒”にして次の世に譲ることであった」と追悼した

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