年末年始
年の暮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 07:59 UTC 版)
劇作家の加島泉太は、「亡き友の妻いづこならん年の暮」という俳句をつぶやき、娘の泰子に意見を求めたが、本当はそんなことはどうでもよかった。ただ娘の声を聞きたかっただけだった。泰子は8、9か月前に嫁入りしたのだが、夫と別れるつもりで里へ帰って来ていた。それでも泉太は娘の声を久しぶりに聞いて、自分の中に埋もれていたものが、ぱっと花を開いたかのようであった。娘の声は妻・綱子の声にそっくりで、娘が家にいる時分はあまり気にもかけなかったが、嫁入りした後に電話で聞く娘の声は、若い頃の妻を思い出させたりした。町で娘と同じ年頃の娘を見ると、このような若い娘の恋愛相手に自分だってなれないことはないのだという年甲斐もない、さもしい根性も頭をもたげた。 「亡き友の妻」というのは、泉太の愛読者で約10年間、泉太の色紙を買い続けてくれていた女性・木曾千代子であった。女学生だった千代子は、泉太へずっと手紙を寄こしていて、3年目の夏に泉太の家を訪問して来た。まだ可憐な小娘である千代子に、泉太は陰鬱な自分の作品など読んでもらいたくなく、「あなたの存在の方が、どれだけいいかしれやしない」と思わず口走るところだった。泉太の作品は、殺人などを描き、極彩色じみた絢爛な作風であった。 泉太は娘の泰子が小学校に上がり、自分の作品を読むのも嫌であった。弟の明男が生まれてから、母でなく自分と添い寝をするようになった泰子のおかっぱの毛を息で吹きながら、泉太は自分の経て来た道を虚ろに感じるのだった。自分の書いた悲劇などは、案山子が舞台で肩肘張って、破れ衣の袖を振りながら踊っているに過ぎず、案山子は作者の姿であり、客がいると思った見物席には、蕭々と野分が吹いているだけなのだ。自分がこの世に生んだ生き身は2人の子供だけで、戯曲などは死物だと泉太は思った。 千代子は、5年目の色紙を買って間もなくして、結婚した。そう聞いた時の自分のさびしさが泉太には意外であった。泉太は千代子を精一杯愛さなかったことを後悔した。それは、朝に千代子を愛することが出来たならば、その夕に死んでもいいという覚悟で、千代子と付き合って来なかった悔恨だった。愛するというと穏やかではないが、それは心のことで、泉太は千代子といい加減に付き合って来た年月、自分は十分に生きていなかったと悔いた。千代子はその後も色紙を買い続けてくれたが、8年目に夫が戦死してから、消息が途絶えた。そんなことを考えながら、年の暮、茫々として人生の思いが、泉太の胸を流れた。
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