作品の高騰
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セザンヌの作品は、ヴォラールによる1895年の個展では100フランから700フランで売れたが、1899年のショケの遺品売立てでは、『首吊りの家』が6200フラン(248ポンド)で売れたが、同じ売立てでルノワール、モネ、マネの作品が1万フランから2万フランで売れたのと比べると、まだ差があった。 ところが、1910年以降には、1000ポンド台、1925年以降には、1万ポンド台に達した。1948年、チューリッヒのコレクターエミール・ビュールレ(英語版)が『赤いチョッキの少年』を3万7500ポンドの高値で購入したことが話題となった。1953年には、ロンドンのナショナル・ギャラリーが『ロザリオを持った老女の肖像』を3万2000ポンドで購入した。1958年、サザビーズのオークションで、ポール・メロンが『赤いチョッキの少年』第2作を初めての6桁台となる22万ポンドで落札し、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーに寄贈した。1970年代には6桁台の落札が22件も現れた。こうして、セザンヌは、ルノワールと並ぶ最高水準価格の画家となった。 1980年代末には美術市場全体の高騰の中、日本人による高額購入が相次ぎ、1989年にはニューヨーク・サザビーズで『テーブルの上の水差しと果物』が1050万ドル(14億2905万円)で落札されて、大阪の高橋ビルディング所蔵となり、同じ年にロンドン・クリスティーズで『リンゴとナプキン』が1000万ポンド(22億7540万円、1578万ドル)という記録的な価格で落札され、安田火災海上保険所蔵となった。1990年代にも次々記録が更新され、1999年5月10日のニューヨーク・サザビーズで『カーテン、水差しと果物入れ(英語版)』が5500万ドル(67億1000万円)で落札され、更に記録を塗り替えた。その後の2011年、相対取引のため詳細は公表されていないが、カタールが『カード遊びをする人々』を2億5000万ドル超で購入したと伝えられ、そのとおりとすれば美術取引史上最高値とされる。2013年には、『サント=ヴィクトワール山』が1億ドルで相対取引されたとされる。
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作品の高騰
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「フィンセント・ファン・ゴッホ」の記事における「作品の高騰」の解説
第一次世界大戦後には、前述のようにファン・ゴッホ作品の評価が確立し、1920年代から1930年代の最高価格は4000ポンド台となり、ルノワールに肉薄するものとなった。第二次世界大戦後は、近代絵画全体の価格水準が高騰するとともに、ファン・ゴッホ作品も従来の10倍ないし100倍となり、ルノワールと肩を並べた。1970年には『糸杉と花咲く木』が130万ドルで取引されるなど100万ドルを超えるものが出て、1970年代には美術市場に君臨するようになった。1980年、『詩人の庭』がクリスティーズで520万ドル(約12億円)という、30号の作品としては異例の高額で落札された。この時期は、記録破りの落札価格が普通になり、サザビーズやクリスティーズといったオークション・ハウスが美術市場を支配することがはっきりした時代であった。 さらに1980年代にはオークションの高値記録が次々更新されるようになった。1988年2月4日付「リベラシオン」紙は、「昨年(1987年)3月30日、ロンドンのクリスティーズにて日本の安田生命(安田火災海上、現損害保険ジャパン)がひまわりを3630万ドル(約58億円)で落札した瞬間、心理的な地震のようなものが記録された。……またアイリスは、(同年)11月11日に、ニューヨークのサザビーズで5390万ドルで落札された。」と取り上げている。日本のバブル景気であふれたマネーが円高に支えられて欧米美術品市場に流入し、特に『ひまわり』の売立ては、市場の構造を根本から変化させ、印象派以降の近代美術品の価格を高騰させた。 さらに、1990年5月15日には、ニューヨークのクリスティーズで齊藤了英が『医師ガシェの肖像』を8250万ドル(約124億5000万円)で落札し、各紙で大々的に報じられた。この作品は、ヨーによって1898年頃にわずか300フランで売却されたと伝えられるものである。この落札は、1980年代末から90年代初頭にかけての日本人バイヤーブームを象徴する高額落札となった。反面、こうした動きに欧米メディアは批判的で、齊藤が作品を「死んだら棺桶に入れて燃やすように言っている」と発言したことも非難を浴びた。 ファン・ゴッホの油絵作品は約800点であるが、パリ以前と以後では価格に少なからぬ差異があり、主題によっても異なる。高い人気に対して名品が比較的少ないことが高値の原因となっている。 ファン・ゴッホの作品のうち、特に高額な取引として有名な例は次のとおりである。 作品名画像FJH競売日価格(米ドル)ひまわり(15本のひまわり) 457 1666 1987年3月30日 3950万ドル アイリス 608 1691 1987年11月11日 5390万ドル 医師ガシェの肖像 753 2007 1990年5月15日 8250万ドル 自画像(あごひげのないもの) 525 1665 1998年11月19日 7150万ドル アルルの女 (ジヌー夫人) 543 1895 2006年5月2日 4030万ドル
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