村松英子とは? わかりやすく解説

村松英子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/02 22:18 UTC 版)

むらまつ えいこ
村松 英子
婦人生活』1965年1月号より
本名 南日 英子(旧姓:村松)
生年月日 (1938-03-31) 1938年3月31日(86歳)
出生地 日本東京府東京市淀橋区西大久保(現・東京都新宿区大久保
身長 162cm
血液型 B型
職業 女優詩人
ジャンル 舞台・テレビドラマ映画
活動期間 1955年 -
配偶者 南日恒夫
著名な家族 村松常雄(父)
田部隆次(祖父)
村松剛(兄)
村松えり(娘)
所属劇団 文学座(1955年-1963年)
劇団雲(1963年-1964年)
劇団NLT(1964年-1968年)
浪曼劇場(1968年-1972年)
サロン劇場(1995年-)
主な作品
テレビドラマ
あかつき』(1963年)
舞台
班女』(1965年)
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村松 英子(むらまつ えいこ、1938年(昭和13年)3月31日[1] - )は、日本女優詩人。身長162cm、体重50kg。

東京都出身。本名は南日英子[1]。父は精神医学者の村松常雄、母方の祖父は田部隆次。実兄は文芸評論家の村松剛。兄の友人三島由紀夫の弟子で演劇活動を引き継いでいる[2]再従兄弟に当たる夫の南日恒夫(日本テレビ勤務の技師)は南日恒太郎(英語教育者)の孫。娘に女優の村松えり

来歴・人物

東京市淀橋区西大久保(現・東京都新宿区大久保)で誕生[3]学者一家の家庭に生れ、父・村松常雄の書斎で『マザーグース』『ペロー童話集』などを読み聞かされて育つ[2]。芝居好きの祖母は英子を歌舞伎に連れていくこともあった[2]

日本女子大学附属豊明小学校の10歳の頃、兄・村松剛の影響でに親しみ、毎年夏に避暑に行く信濃追分で兄から『立原道造詩集』を買ってもらったのをきっかけに、自身も詩を書いたりするようになる[2]

日本女子大学附属中学校・高等学校日本女子大学英文科を卒業後に、慶應義塾大学大学院英文学科修了[1][2][4]。大学院ではエリオットを研究した[2]

日本女子大学在学中に文学座に入団し、その後、座員に昇格。1956年(昭和31年)に初舞台『女の一生』に出演した[1]1961年(昭和36年)に再従兄弟の南日恒夫と結婚[2]。同年11月に楽屋当番をしている時、杉村春子に『十日の菊』公演初日の花束を持って来た三島由紀夫と初対面した[2][5]

1963年(昭和38年)の「喜びの琴事件」で、三島、中村伸郎らと共に文学座を脱退し、劇団雲を経てグループNLTに所属[5][2]。英子の資質を認めていた三島に指導を受け、『班女』など三島戯曲の舞台に多数出演した[5][2]。1968年(昭和43年)には再び三島らと共にNLTを脱退し、劇団浪曼劇場の旗揚げに参加した[5][2]

1966年(昭和41年)、第一回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した。1971年(昭和46年)1月24日の三島の葬儀に際しては、(本人は初め辞退したが遺族の強い希望で)演劇界代表で弔辞を読んだが嗚咽を抑えきれなかった[6][2][7]。英子は三島没後にカトリックの洗礼をうけ信者となった[2]

夫(日本テレビ社員だったがすでに物故している)との間に高齢で出来た2人の子の育児や主婦業などでしばらく演劇活動は休止していたが、1995年(平成7年)から再開。演劇ユニット「サロン劇場」を主宰し演出家でもあり、『近代能楽集』、『鹿鳴館』、『薔薇と海賊』など多くの三島戯曲を公演している[6][2][8]。娘・村松えりも女優として「サロン劇場」公演に多数出演しており[9]、えり自身も2017年に「サロン劇場 B- side」を立ち上げて英子も出演している。 学生時代より詩作をしており、詩集をはじめ、育児や人生論に関する書籍を数冊出版している[2][4]

1983年(昭和58年)より長年、鳥取女子短期大学北海学園大学、慶應義塾大学での客員講師(鳥取女子短期大学では、1993年に英文科教授に昇格)を歴任し、1993年(平成5年)開館の倉敷市劇場「芸文館」の初代館長を務めた[4][1]。また、日本会議代表委員[10][11]美しい日本の憲法をつくる国民の会代表発起人[12]を務めた。

主な出演

出典は[2][4][13][14][1][8][15][3][16][17][18]

舞台

映画

テレビドラマ

著書

出典は[2][4][1][19][20]

詩集

  • 『ひとつの魔法』 ユリイカ、1960年
  • 『一角獣』 サンリオ出版(現代女性詩人叢書)、1973年

随筆など

  • 『天使とのたたかい 詩人女優の母としての記』 主婦の友社、1979年
  • 『愛はわが家から 村松英子の子育て奮戦記』 講談社、1983年
  • 『私のたったひとつの望いに 女・詩・演劇』 文化出版局、1985年
  • 『貴女への贈りもの 人生で一番大切なこと』 中央書院、1999年
  • 『こころの花 あなたと共に』 講談社、2003年
  • 『三島由紀夫追想のうた 女優として育てられて』 阪急コミュニケーションズ、2007年
  • 『歴史に恋して』万葉舎、2018年

訳書

  • 『世界の愛の詩集』 ルック社、1966年
  • 『わが子を抱きしめ、さとす「一分間のしつけ」』(ジェラルド・E・ネルソン著)三笠書房、1985年

脚注

  1. ^ a b c d e f g 広瀬正浩「村松英子」(事典 2000, pp. 612–613)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「第四章 新劇女優 村松英子」(岡山 2016, pp. 135–174)
  3. ^ a b 村松英子 - KINENOTE
  4. ^ a b c d e 著者略歴(英子 2007, p. 200)
  5. ^ a b c d 「出逢いから傍に落ち着くまで」「先生のお傍で」(英子 2007, pp. 12–34)
  6. ^ a b 「三島先生の葬儀」「付記として」(英子 2007, pp. 131–145)
  7. ^ 「第八章」(年表 1990, pp. 229–245)
  8. ^ a b 鈴木靖子「村松英子」(旧事典 1976, p. 413)
  9. ^ “移動しながら謎解き劇 村松英子の「サロン劇場」”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2015年11月25日). オリジナルの2016年12月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161201145415/http://www.asahi.com/articles/photo/AS20151125002535.html 
  10. ^ 前衛』2007年7月号、日本共産党中央委員会、53-66頁、「〝靖国〟派団体の関係資料」。
  11. ^ 遠藤悠樹(編)、日本会議の人脈、三才ブックス、2016年。
  12. ^ 役員名簿(平成26年9月27日現在)”. 憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク | 美しい日本の憲法をつくる国民の会. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月30日閲覧。
  13. ^ 「三島先生の言葉から」(英子 2007, pp. 11–146)
  14. ^ 「戯曲編」(英子 2007, pp. 147–193)
  15. ^ 85回史 2012
  16. ^ 村松英子 - allcinema
  17. ^ テレビドラマデータベース「村松英子」
  18. ^ Drill Spin データベース「村松英子」
  19. ^ CiNii Books「村松英子」
  20. ^ 国会図書館リサーチ「村松英子」

参考文献

外部リンク


村松英子

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三島由紀夫」の記事における「村松英子」の解説

女優。兄・村松剛三島友人。「文学座研究生だった英子初め会った日の夜、三島村松剛に、「きみは、あんなにすてきで可愛い妹さんをいままでどこに隠していたの?」と電話してきたという。その後英子三島師事し三島戯曲舞台多数出演した喜びの琴事件1963年)では三島附随して「文学座」を脱退したが、福田恆存からの強い要請1年間劇団雲」に移籍した後、三島の「劇団NLT」、「劇団浪曼劇場」と行動を共にした。

※この「村松英子」の解説は、「三島由紀夫」の解説の一部です。
「村松英子」を含む「三島由紀夫」の記事については、「三島由紀夫」の概要を参照ください。

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