三島の自決と劇団の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/08 14:38 UTC 版)
1970年(昭和45年)11月25日、三島が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で衝撃的な自決(三島事件)を行ったことで、劇団は大きく揺れた。三島自決以前より、決定していた1971年(昭和46年)3月公演の『サロメ』は、急遽、三島由紀夫追悼公演となった。公演が行われた紀伊國屋ホールには多くの観客が詰め掛け大盛況となったが、精神的支柱であった三島を突然失ったことで、劇団運営の行く末は全く見えなくなった(経緯は、弟子の村松英子による回想『三島由紀夫追想のうた』阪急コミュニケーションズに詳しい)。 1972年(昭和47年)に入り、劇団浪曼劇場は解散。実質的な活動期間は、わずか3年足らずだった。主な参加者は各自で、演劇人として活動した。
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