三島の遺書とは? わかりやすく解説

三島の遺書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 08:16 UTC 版)

三島事件」の記事における「三島の遺書」の解説

三島楯の会会員倉持清(1期生、第2班班長)に宛てた遺書は、事件の日の夜に瑤子夫人から倉持清に手渡された。倉持は、決起した会員4名同様に三島から信頼されていた人物であった三島倉持から仲人依頼され快諾していたために、〈蹶起と死の破滅の道へ導くこと〉、〈許婚者裏切つて貴兄だけを行動させること〉は不可能だったことを伝え人生生きてもらいたいことを遺言した小生小さな蹶起は、それこそ考へに考へた末であり、あらゆる条件参酌して唯一の活路見出したものでした。活路同時に明確な死を予定してゐました。あれほど左翼学生行動責任のなさを弾劾してきた小生としては、とるべき道は一つでした。それだけ人選は厳密を極めごくごく少人数で、できるだけ犠牲少なくすることを考へるほかはありませんでした小生としても楯の会会員と共に義のために起つことをどんなに念願しどんなに夢みたことでせう。しかし、状況はすでにそれを不可能にしてゐましたし、さうなつた以上、非参加者には何も知らせぬことが情である、と考へたのです。小生決し貴兄らを裏切つたとは思つてをりません。(中略)どうか小生気持汲んで今後就職し結婚し汪洋たる人生の波を抜手を切つて進みながら、貴兄真の理想忘れずに成長されることを念願します。 — 三島由紀夫倉持宛て封書」(昭和45年11月) この倉持への封書と共に同封されていた楯の会会員一同宛て遺書は、事件翌日11月26日代々木聖徳諦聴寺営まれ森田必勝通夜の席で、皆に回し読みされた。これを読んだ会員たちは、残された者への三島思いやり伝わってきたと回想している。 たびたび、諸君の志をきびしい言葉でためしたやうに、小生脳裡にある夢は、楯の会会員一丸となつて、義のために起ち、会の思想実現することであつた。それこそ小生人生最大の夢であつた。日本日本の真姿に返すために、楯の会はその総力結集して事に当るべきであつた。(中略革命青年たちの空理空論排し、われわれは不言実行を旨として、武の道にはげんできた。時いたらば、楯の会真価全国民目前証明される筈であつた。しかるに、時利あらず、われわれが、われわれの思想のために、全員あげて行動する機会は失はれた。日本はみかけの安定の下に、一日一日魂のとりかへしのつかぬ症状をあらはしてゐるのに、手をこまぬいてなければならなかつた。もつともわれわれの行動必要なときに、状況はわれわれに味方しなかつたのである。(中略日本堕落の淵に沈んでも、諸君こそは、武士の魂を学び武士の錬成受けた最後の日本の若者である。諸君理想放棄するとき、日本滅びるのだ。私は諸君に、男子たるの自負教へようと、それのみ考へてきた。一度楯の会属したものは、日本男児といふ言葉何を意味するか、終生忘れないでほしい、と念願した青春に於て得たものこそ終生の宝である。決してこれを放棄してならない。 — 三島由紀夫楯の会会員たりし諸君へ」(昭和45年11月

※この「三島の遺書」の解説は、「三島事件」の解説の一部です。
「三島の遺書」を含む「三島事件」の記事については、「三島事件」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「三島の遺書」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「三島の遺書」の関連用語

三島の遺書のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



三島の遺書のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの三島事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS