三島の家を訪問とは? わかりやすく解説

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三島の家を訪問

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 06:46 UTC 版)

福島次郎」の記事における「三島の家を訪問」の解説

1951年昭和26年1月から連載開始された三島の『禁色』を毎回本屋立ち読みしていた次郎は、作中出てくるゲイバア・ルドンへの関心強まった。ついに次郎は、ルドンという店はどこにあるのかという問い合わせの手紙を持参し5月目黒区緑が丘三島自宅訪問した。 それを機に次郎は、三島行きつけの店知人の家に伴ったりするようになり、書生のような雑用係の立場平岡家三島の家)にも出入りするようになった三島生涯秘書弟子など付けない方針であったが、次郎アルバイト学生として三島本の運搬をしたり、三島の父・平岡梓の手伝い庭仕事をしたりなどの雑用任された。 次郎白山大学寮から平岡家通い処世術ちょっとした作法と躾を教わった三島の母・倭文からはいつも優しい言葉かけられ美味しい手料理食卓一家と共にした。憧れていた家庭温かみ本当両親からのような世話愛情味わっていたその頃次郎は、三島才能よりも、その恵まれた家庭環境羨望持っていた。また次郎は、東京華やかな芸能界映画界人間繋がりのある三島街に出ることで、文化的な世界触れたいという願望もあった。 しかし同年夏、伊豆今井浜にて、次郎側から縁を切る形で三島との関係に一旦終止符打ったという。三島が初の世界旅行詳細アポロの杯参照)後に書いた禁色』の第2部秘薬』(文学界 1952年8月号 - 1953年8月号に連載)のなかに、金銭汚く人間的に卑劣な役どころの「福次郎という名の同性愛者登場しているのを読んだ次郎は、自分のこと恨んだ三島その男の名を「福次郎」にしたのではないか思った三島とはぎくしゃくしたものの、次郎三島両親とは離れがたく、三島世界旅行留守にしている間は、変わらず平岡家通っていた。倭文重と一緒に出かけた帰りお汁粉屋などに入ると、親子3人水いらずのような気分になり、このまま三島帰国せず自分平岡家息子になれたらどんなにいだろう次郎空想した。 ルドンモデルの店「ブランズウィック」のアルバイト10日辞め、他の飲み屋でも長続きせず、金銭困窮して学生生活もままならなくなっていた次郎が、アルバイト先の世話を依頼すると、元役人深川木場米穀倉庫での仕事探してきてくれた。次郎は正式雇用採用されフルタイム勤務毎日そこで働いた。 しかし1952年昭和27年)の国文学科3年の春、すでに単位全部取得し、残すは卒論のみとなっていた次郎は、先輩紹介福島県鮫川村にある農業高校教師仕事をすることを決め5月東京離れた。その地の下宿先宿屋雇い人14歳少年恋した次郎は、初めてその少年相手望んだ性を成就することができた。約1年間鮫川村教員しながら井原西鶴卒論書き終えた次郎は、大学卒業後は年老いた大叔母育ての母)の待つ故郷熊本帰ることにした。

※この「三島の家を訪問」の解説は、「福島次郎」の解説の一部です。
「三島の家を訪問」を含む「福島次郎」の記事については、「福島次郎」の概要を参照ください。

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