三島への出演依頼とは? わかりやすく解説

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三島への出演依頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 10:17 UTC 版)

人斬り (映画)」の記事における「三島への出演依頼」の解説

人斬り』では三島由紀夫田中新兵衛役が大きな目となったが、三島がこの映画出演することになったきっかけとしては、三島自主製作映画憂国』(1966年4月封切)を観ていた五社英雄思いつき橋本忍賛同した経緯があり、五社直接三島邸を訪問して正式依頼した岡田以蔵勝新太郎きまったが、田中新兵衛の役を誰にするか、が問題になった勝新太郎互角に渡り合えて、なおかつ田中新兵衛は大変口数少ない男で、躰全体から殺気ほとばしってなくてはいけないさんざん探したあげく、三島由紀夫さんに白羽の矢をあてた。脚色橋本忍さんにそのことをいうと「これは全く名キャストだ」と喜んでくれた。 — 五社英雄演出家の眼」 しかし最初に三島の側に話を持って行ったのは勝プロ製作第1作目力を入れていた勝新太郎であった。勝は、大映企画部長の藤井浩明ところにやって来て、「ちょっと頼みがあるんだけどさ、三島さん出て貰えない?」と『人斬り』の田中新兵衛三島さんにやってほしいと切り出した藤井三島が『からっ風野郎』で主役演じて以来、『憂国』の映画製作にも携わり三島マネージャー的な存在になっていた。 勝から依頼され瞬間藤井三島絶対一発引き受けると確信していたが、「勝さん、それはわかんないよ」と勿体つけ、勝がさらに頼み込むのを待ってから、「じゃあ話してくるからね」と応じた。そしてその依頼の件を三島に話すと、案の定三島間髪入れず、「俺やるよ」「この田中新兵衛なら絶対やる!」と即答であった五社監督が正式依頼三島邸を訪問した際にも、三島嬉しさ隠しきれない様子であった。そんな三島様子は、「すぐにでも引受けたいような、まるでガキ大将近藤勇の役を持っていったような」風で、「とても正直な子供のように無邪気な感じ」だったと五社監督振り返っている。 三島は「私は時代劇てものはやったとがないけど鬘はのるかね?」とニコニコしながら、すでに気持決まっていたにもかかわらず、それでも一応勿体つけた様子で、「ともかく明日中返事をします」と五社見送った。しかし三島我慢できずその日の晩すぐに五社電話入れ、「ぜひ出させてくれ」と引き受けた。 何ゆゑ私に、幕末刺客薩摩侍の田中新兵衛の役が振られたか、多分、下手な剣道をやつてゐてサムラヒ・イメージを売り込んでゐたり、テロリズム礼賛してゐるやうに世間から思はれてゐたり、また私を使へばその分宣伝費タダですむと計算されてゐたり、いろいろの理由あるだらうが、「もの」を選ぶといふのは、最終的に総合的判断である。総合的判断とは、非合理的なものであるさういふ風にして、私の知らないところで、さういふ相談進んでゐた、といふことが……そして私の「知的な部分」なんかは全然考慮の外に置かれたといふことが、私をうれしがらせたことは相当なものだつた。それはともかく、橋本忍氏のすぐれたシナリオ中でも、ろくに性格描写もされておらず、ただやたらに人を斬つた末、エヽ面倒くさいとばかりに突然の謎の自決遂げる、この船頭上り単細胞テロリストは私の気に入つた。 — 三島由紀夫「『人斬り田中新兵衛にふんして」 当時三島は、楯の会率いて自衛隊体験入隊や、剣道空手居合稽古し自らの思想美学実践している有言実行ぶりが若者の間で人気となり、スーパー・アイドル的な存在であった作家活動けでないそうした数々行動ぶりが、どこか幕末の志士とも共通する危険な雰囲気孕んでいた。 三島様々なエッセイ・評論投稿していた雑誌平凡パンチ』では、読者人気投票三船敏郎720票差でおさえて19,590得票し「ミスターダンディ」の第1位に輝いていた。次に読者投票が行われた「ミスター・インターナショナル」では、第1位のフランスド・ゴール大統領次いで三島第2位選ばれた。当時雑誌など日本マスコミから「スーパースター」と最初に書かれ有名人三島だった。 準主役配役決まり1969年昭和44年4月25日映画製作記者会見開かれた五社英雄監督と共に勝新太郎と三島由紀夫列席し衣裳合わせ兼ねて三島は髷姿のサムライ風体臨んだプロデューサーの法亢堯次は三島配役した理由を、「勝、仲代石原はいずれ個性の強い役者、これに対抗できる人をと考えた末に思い切って三島氏に頼んだ」と語った三島時代劇映画出演するということ大い注目され、各スポーツ新聞三島写真入れ週刊誌グラビアでそれを大きく報じた時代劇殊に幕末物は好きだが、自分がまさか時代劇出演することにならうとは、想像もしてゐなかつた。(そんな利口なプロデューサーはゐるまい、とタカをくくつてゐたのが本音である) はじめてカツラをつけ、大小を腰にさしても、剣道居合道場延長で、少しも違和感感じなかつた。第一、私自身、人から見れば漫画だらうが、幕末勤皇志士心境で、毎日を送つてゐるのだから、その生活感情がそのまま画面出ればいいのだと思つた。 — 三島由紀夫「『人斬り出演の記」 五段を持っていた三島剣道警視庁剣道北辰一刀流で、1965年昭和40年)からは真剣で居合習い1966年昭和41年3月からは皇居内の済寧館道場通っていた。会見三島薩摩侍の役作りのため、新たに鹿児島示現流を学ぶ意気込み見せた。 この1969年昭和44年)の夏は、三島原作戯曲わが友ヒットラー』、『サド侯爵夫人』などの再演や『癩王のテラス』の話題と共に、この映画人斬り出演のことで演劇界ちょっとした三島ブーム」となり、マスコミ芸能賑わしていた。 役作りのために三島五社監督に、「テロリスト芝居は何ですか」「一番気をつけることは何ですか」と尋ねると、「テロリストとしたら一種狂気じみたあなたの目だ、目のエネルギーだ、どう見てもあなたの顔の骨相犯罪者だ」と答えた三島はそれを聞く高笑いし、「違う社会の人と付き合うと、思わぬことを言われますね」と、五社監督信頼を置くようになった

※この「三島への出演依頼」の解説は、「人斬り (映画)」の解説の一部です。
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