闘病〜死去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 18:59 UTC 版)
2014年末に腸閉塞のために体調を崩し医師から「余命3日」を宣告され緊急手術を行い、術後には回復した事をブログで報告。 2015年4月21日、ブログにて、大腸癌のため、主演舞台『THE WINDS OF GOD』を降板することを発表。同年4月30日には記者会見を開き、3月から入院中で、抗がん剤治療をしており、「ステージ4」の末期ガンであることを明かした。長らく健康診断を受けていなかったこともあり、発見時には既に手の施しようのないほど病状が悪化していた。舞台そのものは降板したものの、新国立劇場公演千秋楽の5月5日にはステージに登壇し、舞台挨拶を行い復帰への思いを語った。しかし、その顔立ちや体からして明らかに痩せこけており、別人のような姿になっていた。その挨拶から23日後の5月28日午前3時5分、入院先の病院で家族に看取られながら死去した。54歳没。通夜・葬儀は本人の意向から、地元にて近親者のみの密葬で行われた。 今井の憧れで映画『THE WINDS OF GOD』でも共演している千葉真一は「無念という言葉がピッタリだ。いつも一緒に飯を食うと『俺たちが映画界を引っ張っていかないと』と話をしていた。あのくらい燃える若者が今いるのかな。俺は大好きだった」と偲んだ。今井がファンだったアグネス・チャン、演劇仲間の別所哲也と川平慈英、舞台で共演し今井が慕っていた梅沢富美男、ドラマの夫婦役で何度も共演した田中美奈子、酒井法子、病気で降板後の代役を務めた重松隆志、ミッツマングローブ、黒田アーサー、ラサール石井、武田梨奈、坂上忍、勝俣州和ら、生前の多数の共演者や仕事での関係者からマスコミ、公式サイト、SNS、事務所を通しての声明などを通して、その死を悼むコメントが発表された。葬儀では生前の仕事での関係者から多数の献花がなされた。 同年7月15日、映画『戦国自衛隊』の大ファンである今井が続編となるシナリオを約20年前に執筆していたことや、2001年には同作のプロデューサーである角川春樹と映画化の話も進んだが、角川の問題で頓挫していたことが明るみに出た。 翌16日にお別れ会が都内でしめやかに営まれた。祭壇はイメージカラーで大好きだった赤を基調にユリ・バラ・カーネーション・胡蝶蘭など計3,005本の花と、中心の遺影は舞台『THE WINDS OF GOD』の写真。棺桶には靴、闘病中に届いた励ましの手紙、千羽鶴が納められた。戒名は「雅風徹信居士(がふうてっしんこじ)」。弔辞は千葉真一と奈良橋陽子が読み上げた。千葉は、その熱い一面、映画作りを「カブトムシ捕りと一緒だ」と例えていた様、撮影時の在りし日の姿に思いを馳せ、「ハリウッドで共演したかった」と、その死に悔しさをにじませながら「(一緒に仕事できたことで千葉自身も)成長できた」と感謝を込めていた。奈良橋は、今井が主演予定だった映画『手をつないでかえろうよ』は2016年5月の一周忌に全国を回れるよう頑張る、「(今井が)書いたもの、演出したもの、魂はみんなの中に生き残る」と訴えていた。同会には梅沢富美男、金山一彦、橋本マナミ、池谷幸雄、池谷直樹、大和田伸也、入江慎也、なだぎ武、酒井法子、マイケル富岡、麻丘めぐみ、井戸田潤、岩城滉一、アグネス・チャン、竹内力、宮川大輔、渡辺裕之、陣内智則、中居正広ら著名人・関係者600人が参列した。
※この「闘病〜死去」の解説は、「今井雅之」の解説の一部です。
「闘病〜死去」を含む「今井雅之」の記事については、「今井雅之」の概要を参照ください。
- 闘病〜死去のページへのリンク