闘病から死去前後
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2006年3月から糖尿病治療のために芸能活動を休止。その後もレギュラーで出演していたKKT「テレビタミン」とRKKラジオ「ばってん荒川 ぴら〜っと登場!」の2006年5月29日放送分に出演するなどして復帰が期待されたが、同年10月22日午前11時23分、熊本市内の病院で膀胱癌による心不全のため亡くなった。69歳没。ローカル局だけでなく、キー局のニュースでも取り上げられ、あまりにも急な死であったため、驚きの声が多数上った。 奇しくもその日の午後のRKKテレビでは、ばってんが出演を予定していた、熊本城での「くまもと秋のお城祭り」のステージの様子が録画放送されていた(ばってんの代役は新沼謙治)。 死去の翌日の2006年10月23日(月)は、上記「テレビタミン」の週第1日目、「ばってん荒川 ぴら〜っと登場!」の週1回の放送日に当たっており、両番組とも追悼特集を組んだ。うち「テレビタミン」の追悼特別番組(上野聡行の司会で、番組MCの本橋馨と村上美香、番組出演者で後輩芸人でもあるばってん城次が出演)では、「本人もしんき臭かとは好かっさんだったけん(しみったれたのはきらいだったから)」と、過去に放送された「爆笑映像」や故人の芸風や人柄をしのばせる思い出話を中心に、出演者一同つとめて明るく進行していたが、上記2006年5月29日同番組にサプライズ出演した際の映像が紹介された際、その明るい表情の裏での闘病生活を知っていたばってん城次は、映像を見ながら思わず「きつかったろなあ」と男泣きした。 2006年10月24日に熊本市内の葬儀場で行われた葬儀・告別式には、ビートたけし、たけし軍団、北島三郎、西川きよし、市原悦子、天童よしみら東京・関西の大物芸能人や水前寺清子、八代亜紀、石川さゆり、原田悠里、コロッケ、井手らっきょら熊本県出身の有名芸能人から供花が贈られた。弔辞は、長年テレビ・ラジオで共演した熊本ローカルタレントの後輩・大田黒浩一が読み上げた。大田黒は、遺影に向かって「(逝くのが)早か」と絶叫した。そして、歌手としての代表曲「帰らんちゃよか」を、熊本出身の演歌歌手・島津亜矢が遺影の前で熱唱した。 熊本県の潮谷義子知事(当時)は、荒川の死去から1ヶ月を過ぎた2006年11月29日の会見で、荒川に「熊本県地域文化特別功労賞」を贈呈することを発表した。半世紀にわたってテレビ・ラジオなどのメディアで熊本弁を世間に広めたのと、「肥後にわか」の普及など地域文化の発展に貢献したのが賞を贈る理由となった。
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